「トーマス・ニューコメン」の版間の差分

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: 当初の試作段階でニューコメンらは、シリンダの側面を取り巻くように鉛製のジャケットを巡らし、そこに冷水を流してシリンダ中の蒸気を冷却していた。その場合は蒸気の凝縮速度は遅く、機関の動作は極めてゆっくりしたものにならざるを得なかった。<br/>実験中のある時、突然ピストンが急に下方へ引かれて鎖を引きちぎり、シリンダの底とボイラの蓋を破壊してしまった。その事故の原因を調べてみると、シリンダ壁の鋳物欠陥を補修して埋めていたハンダ(またはフラックス)が溶け、その穴から冷水がシリンダ内へ噴き出して蒸気が急速に凝縮し、ピストンが下方へ急に動かされたことが分かった。この発見がもとになって、シリンダの底に冷水の噴射管を取り付け、冷水の噴射で蒸気を直接凝縮する方法に変更されたとされている<ref>[[#Rolt|Rolt & Allen(1997)]] pp. 41-43.</ref> <ref>[[#Knowles|Knowles(website)]] §first atmospheric engine.</ref>。
; スニフティング弁 (漏らし弁)
: 蒸気を凝縮して凝縮水だけを取り除きながら繰り返していると、蒸気や冷水と共に持ち込まれる空気がシリンダ内に溜まって濃縮され、やがて機関は動かなくなる。ニューコメンらは試行錯誤するうちにこのことに気づいて、対策を考えていた。<br/>シリンダへ蒸気を入れる行程の間、凝縮水を排水管(educationeduction pipe)から排出するが、その行程の後半で数秒間だけ蒸気と空気をシリンダから噴き出すことで、空気の濃縮を防ぐことができる。排水管の先を U 字形に曲げて出口に逆止弁をつけて水槽中へ入れ、そこから空気の泡が出ることから、空気が除去されていることが分かる。この弁は、動作時に発する音から "スニフティング弁(snifting valve;漏らし弁)"と呼ばれた<ref>[[#Dickinson|Dickinson(1939)]] p.41.</ref> <ref group="注釈">通常は、排水管とは別の管にスニフティング弁が取り付けられていた。</ref>。
; 自動運転機構
: この機関の動作のためには、シリンダ内でピストンが上端に来たとき蒸気弁を閉じて、冷水弁を開き、下端に来たときに逆の操作をして、冷水の噴射や蒸気の注入を正確に行うことが不可欠である。試験段階ではこれを手動で行っていたが、1712年の最初の機関では、ビームの動きに応じて弁操作を自動的に行うようになっていた。<br/>ニューコメンらはピストンと共に上下に揺動する頭上のレバーに棒(プラグ・ロッド)をぶら下げ、プラグ・ロッドに取り付けた留め釘とリンクとを組み合わせて弁を開閉した。特に冷水噴射弁は、重りの落下を用いて急速に開き、プラグ・ロッドで重りを持ち上げながらゆっくり閉じるように工夫されていた。さらに、当時のボイラの蒸発量が不足気味であったため、蒸気量(ボイラ圧力)が不足する際は冷水弁を閉じたまま機関を待機状態とする工夫("スコガン(scoggan)")もあり、その動作を紐を用いて行っていたため、多少複雑となっていた<ref group="注釈">当時の科学者の[[ジョン・デサグリエ|デサグリエ]](J.T.Desaguliers)や技術者フェアリ([[:en:John Farey Jr.|John Farey]])らにより、手動弁操作担当の少年ハンフリー・ポッター(Humphrey Potter)が、この仕事から「逃れて遊ぶために」、この自動運転機構自身を考えついたとの話が伝えられている。その後の調査で、この話は誤りであることが指摘されており、ポッター少年は、十分なボイラ容量がある際に、スコガンの機能を自動的に解除する工夫を考案したとされている。ポッター少年の父はニューコメン機関のビジネスに深く関わったバプティストであり、その一族も機関の普及や建造に大きく関わった。</ref> <ref>[[#Rolt|Rolt & Allen(1997)]] pp. 89-96.</ref>。<br/>この自動運転機構は、ヘンリー・バイトン(Henry Beighton)による1717年のニューカースル・アポン・タイン(Newcastle-upon-Tyne)機関で、更に改良された<ref>[[#Smiles|Smiles(1865)]] p.66.</ref>(上の概略図では、この機構は省略されている)。