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|代表成績更新日=
|監督年=1974-1975<br />1976<br />1976-1978<br />1978-1979<br />1979-1980<br />1981-1995<br />1995-1996<br />1996-2000<br />2001-2010<br />2012
|監督チーム=<span style=" white-space:nowrap;">{{flagicon|BRD|size=18px}} [[キッカーズ・オッフェンバッハ]]<br />{{flagicon|BRD|size=18px}} [[ヴェルダー・ブレーメン]]<br />{{flagicon|BRD|size=18px}} [[ボルシア・ドルトムント]]<br />{{flagicon|BRD|size=18px}} [[アルミニア・ビーレフェルト]]<br />{{flagicon|BRD|size=18px}} [[フォルトゥナ・デュッセルドルフ]]<br />{{flagicon|BRD|size=18px}} [[ヴェルダー・ブレーメン]]<br />{{flagicon|GER|size=18px}} [[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]<br />{{flagicon|GER|size=18px}} [[1.FCカイザースラウテルン]]<br />{{flagicon|GRE|size=18px}} [[サッカーギリシャ代表|ギリシャ代表]]<br />{{flagicon|GER|size=18px}} [[ヘルタ・ベルリン]]</span>
}}
[[ファイル:Rehakles 2008.jpg|thumb|right|220px|選手に指示を与えるレーハーゲル]]
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1981年に[[ヴェルダー・ブレーメン]]の監督に就任。有能な若手選手やベテラン選手を集めて常に優勝を争えるチームへと育て上げた<ref name="レーハーゲル" />。1995年に監督を退任するまでの14シーズンの長きに渡って指揮を執り、ブンデスリーガ優勝2回(1987-88シーズン、1994-95シーズン)、[[UEFAカップウィナーズカップ]]優勝1回(1991-92シーズン)を成し遂げるなど監督としての評価を高めていった<ref name="レーハーゲル" />。
 
ブレーメンで成功を収めたレーハーゲルは1995年に[[FCバイエルン・ミュンヘン|バイエルン・ミュンヘン]]の監督に就任したが、レーハーゲルの志向する「個人がチームの為に戦う」スタイルは、[[ローター・マテウス]]や[[ユルゲン・クリンスマン]]らのスター選手を数多く擁するバイエルンでは発揮できず、[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]決勝直前にクラブ首脳陣との対立もあって監督を退任した<ref name="レーハーゲル" />。
 
1996年、[[1.FCカイザースラウテルン]]の監督に就任。当時2部リーグに降格していたチームを1部に復帰させると1997-98シーズンにはブンデスリーガ2部から昇格したばかりのクラブを優勝させるという離れ業もなし遂げるなど、2000年まで指揮を執った。レーハーゲルは選手と監督を通じて唯一ブンデスリーガにおいて1,000試合以上に携わっており、通算387勝205分228敗はいずれも最多記録である。