「弾道ミサイル」の版間の差分

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===R-7とR-11===
大戦終結後、[[ナチス・ドイツ]]の技術は戦勝国によって持ち出され、これを元にそれぞれの国で独自の研究が始まった。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[イギリス]]が<ruby>[[鹵獲]]<rp>(</rp><rt>ろかく</rt><rp>)</rp></ruby>した完成品の打ち上げテストで満足している中、[[ソビエト連邦|ソ連]]だけは熱心に研究を進めていた。ソ連はドイツに残っていた資材を用いて自国でV2/A4を生産した他、改良版であるR-1(SS-1A)、拡大版であるR-2(SS-2)、ソ連の独自技術を加えたR-5(SS-3)が[[S.P.コリョロフ ロケット&スペース コーポレーション エネルギア|コロリョフ設計局]]を中心に次々と開発された。この後、コロリョフ設計局はより大型化した[[大陸間弾道ミサイル]](ICBM)である[[R-7 (ロケット)|R-7(SS-6)]]、R-9(SS-8)を開発し、ソ連領内から北米を射程圏内に収めるようになる。これらの[[ミサイル]]はまだ信頼性が低く、また、少数が配備されたに過ぎないが、大陸間弾道弾の出現は当時まだ大型ミサイルが無かったアメリカを[[パニック]]状態に陥れた。こののち開発されたR-16(SS-7)が1962年に大量配備され、ようやくソ連の[[核兵器|核攻撃]]能力が実効性のあるものとなった。
 
V2/A4の設計を元に、常温保存が可能な液体燃料を使用する別の[[エンジン]]を備えたミサイルが[[R-11 (ミサイル)|R-11]](SS-1B)であり、[[スカッド]](Scud-A)の[[NATOコードネーム]]が与えられた。R-11はさらにエンジンが改良された[[R-17 (ミサイル)|R-17]](SS-1C Scud-B)となる。R-17はソ連の軍事援助によって各地に輸出され、その後の多くの紛争で使用された他、[[リバースエンジニアリング]]によって誕生した多くの派生ミサイルの先祖となった。