「復興号」の版間の差分

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当初投入された15両の新型車輌は内装が日本製の{{lang|zh|莒}}光号と類似していた。新型冷気対号快車が工場出荷される際には当初特別な名称は無く、単に'''{{lang|zh|莒}}光特快附掛対号'''と称されていた。そのため新型車輌の車体塗装は、僅かに区別用の白線が付された他は{{lang|zh|莒}}光号の車両と同一のものが採用され、{{lang|zh-tw|莒}}興号で運用される時は'''冷気対号'''と称されていた。
 
1980年から走り始めた{{lang|zh|莒}}興号は、同一列車でありながら座席により{{lang|zh-tw|莒}}光号と冷気対号とに分類され運賃体系も異なっていた。しかし同一時刻に運行される同一列車に異なる等級を設定することは運行上の不便となり、[[1981年]][[12月28日]]に120輌の車輌が完成後、混合編成による莒}}興号の運行は廃止され、冷気対号が正式に'''復興号'''として独立した。
 
[[1985年]]になると、復興号の車輌不足から旧型車輌更新の名目で[[唐栄鉄工廠]]により35SPK2200、35SPK2150、35SPK20200型復興号車輌が製造された。この新型車量の最大の特徴はデッキ部に自動ドアを設置し、空調設備を屋根に配置したことにある。
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