「ウディ・アレン」の版間の差分

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=== 映画監督・俳優として ===
生まれ育ったニューヨークの[[文化]]や暮らし、人々のメンタリティ精神性をテーマにすることが多い、しかもそこに住む[[ユダヤ人]]のそれを主題とする。ユダヤ人であることの差別とそこから来る[[コンプレックス]]や、自己意識などを織り込んだ[[コメディ]]を得意とする。
 
「監督、脚本、主演の三役をこなして成功することが出来た映画人は、[[北野武]]と[[チャールズ・チャップリン]]と[[オーソン・ウェルズ]]とこのアレンの4人だけだ」と言われている{{要出典|date=2012年10月}}。演じる際には自らをカリカチュアライズしたようなユダヤ系の神経質な[[インテリ]]を演じることが多い。
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なお、[[フランス]]などの[[先進国]]を中心とした国外においても非常に高い評価を受けていることでも知られる。また、一部の作品を除いてアメリカ国内における興行成績は決して高くはなく、アレン自体もその事を皮肉った発言を行っている。なお、アメリカ国内より国外での興行成績が高い作品もあるにもかかわらず、後述のように多くの人気[[俳優]]や[[俳優|女優]]が競って出演することでも知られている。
 
またアレンは、[[ハリウッド]]に背を向けた映画人としても知られている。『アニー・ホール』([[1977年]])で、[[アカデミー監督賞]]、[[アカデミー作品賞|作品賞]]を受賞した時も、授賞式には出なかった。アレンが唯一[[アカデミー賞]]の授賞式に姿を現したのは、[[2002年]]の授賞式で特別プログラムとしてニューヨークを舞台にした作品集の紹介を依頼されたときだけ。それは前年[[9月11日]]に発生した[[アメリカ同時多発テロ]]で犠牲になった人たちに捧げるオマージュとしての企画で、アレンは出演したものの、それが終わるとただちにニューヨークに戻ってしまった。それにもかかわらずアレンがアカデミー賞にノミネートされたのは24回最多の回数である。
 
=== 小説家として ===