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[[画像:NaraTodaijiDaibutsu0212.jpg|thumb|東大寺盧舎那仏像]]
'''天平文化'''(てんぴょうぶんか)は、時期では8世紀の中頃までをいい、[[奈良]]の都[[平城京]]を中心にして華開いた貴族・仏教文化である。この文化を、[[聖武天皇]]のときの[[元号]][[天平]]を取って天平文化と呼ぶ。
 
== 特徴 ==
当時の[[皇族]]や[[貴族]]は、[[遣唐使]]によってもたらされた[[周]](武周)の[[武則天]]や[[唐]]の[[玄宗 (唐)|玄宗]]の文化を積極的に取り入れた。これによって花開いたのが、天平文化である。因みに、唐からの文化移入には特に[[大宰府]]の果たした役割が大きかった。