「ウトキアグヴィク」の版間の差分

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[[ImageFile:Barrow beachAK.jpg|right|250px|thumb|バローの海辺空撮]]
[[Image:Barrow sod house remainsbeach.jpg|right|250px|thumb|土製バロー住居跡海辺]]
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'''バロー'''({{lang-en-short|Barrow}})(正式名称:'''ユトクィアグヴィック'''(Utqiaġvik))は、[[アメリカ合衆国]][[アラスカ州]]最北部にある都市。[[北極海]]に面する[[北緯]]71度23分に位置し、アメリカ合衆国最北端の都市である。また15㎞ほど離れたところにはアメリカ合衆国の最北端・[[バロー岬]]がある。人口は4,373人([[2013年]]推計)。住民の大部分が[[先住民族]]の[[イヌイット]]([[イヌピアト]])であり、アラスカ州最大のイヌイット集落としても知られている。古くは北極海[[捕鯨]]の基地や[[毛皮]]の交易地として栄え、現在は夏の[[白夜]]や冬の[[オーロラ]]、先住民文化を体験できる観光地となっている。
 
[[2016年]]12月1日、バロー市は公式名称を、イヌピアトの言語で「野生の根(根菜)を集める場所」を意味するユトクィアグヴィック(Utqiaġvik)に改めた<ref>[http://www.smithsonianmag.com/smart-news/goodbye-barrow-alaska-hello-utqiagvik-180961273/ Goodbye, Barrow, Alaska. Hello, Utqiagvik | Smart News |Smithsonian]2017年5月18日閲覧</ref>が、本稿では都市名をバローで統一している。
 
==歴史==
[[Image:Barrow sod house remains.jpg|right|250px|thumb|土製の住居跡]]
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旧市名のバローは[[ポイント・バロー|バロー岬]]([[w:Point Barrow|Point Barrow]])から名付けられた。バロー岬の名は、[[1825年]]に岬を発見した[[イギリス]]の探検家、[[フレデリック・ウィリアム・ビーチー]]([[w:Frederick William Beechey|Frederick William Beechey]])を資金面で支えた同国の政治家、ジョン・バロー([[w:John Barrow (English statesman)|John Barrow]])にちなむ。
 
バローと名付けられる前、この地は先住民の言葉で'''ユクピアグヴィック'''(Ukpiaġvik、「[[シロフクロウ]]狩りの地」を意味する)と呼ばれていた。[[西暦]][[500年]]頃には、この地には既に人が住み着いており、[[クジラ]]や[[アザラシ]]、[[トナカイ]]などを狩りながら生活していたとみられ、近隣には[[800年]]頃の住居跡も残っている。
 
[[1825年]]にフレデリック・ウィリアム・ビーチーがバロー岬を発見。その頃は[[イギリス海軍]]が[[北アメリカ]]の[[北極海]]沿岸を測量していたが、[[1864年]]にアラスカがアメリカ領となることが確定、[[1881年]]には[[アメリカ合衆国]][[陸軍]]がバローに気象観測および[[磁極]]調査の拠点を設けた。[[1888年]]には[[長老派]]が教会を建立。[[1893年]]には[[捕鯨]]基地や[[毛皮]]取引所が置かれ、[[1901年]]には[[郵便局]]が設置された。
 
[[1935年]][[8月15日]]、当時アメリカ合衆国を代表する[[コメディアン]]であった[[ウィル・ロジャース]]が搭乗、世界一周飛行などの業績で知られた[[パイロット (航空)|パイロット]]の[[ウィリー・ポスト]]が操縦していた飛行機が川に墜落する事故が起き、両名の命が奪われた。その墜落現場は現在記念碑が建ち、[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]の指定を受け、またバローの空港の名前も現在「ウィリー・ポスト=ウィル・ロジャース記念空港([[w:Wiley Post–Will Rogers Memorial Airport|Wiley Post–Will Rogers Memorial Airport]])」と名付けられている。
 
[[1972年]]、バローを中心とする[[ノース・スロープ郡]]が創設された。財政に余裕ができた分を活かして、郡はバローに[[道路]]を建設し、衛生・[[水道]]・[[電力]]などの公共サービスや保健・教育サービスを充実させるなど、[[インフラストラクチャー]]整備に力を入れた。[[1986年]]には、郡は地域初の高等教育機関となるノース・スロープ高等教育センター(North Slope Higher Education Center)を開校した。[[2003年]]には同センターは2年制[[大学]]として認可を受け、名称もイリサグヴィック大学([[w:Ilisagvik College|Ilisagvik College]])と改められた。同大学は、[[エスキモー]]の伝統文化に基づいた教育を行っている。
 
==地理==
[[Image:AKMap-doton-Barrow.png|right|thumb|150px|バローの位置]]
[[File:Barrow-Alaska-skyview.jpg|thumb|バローの街並み]]
[[File:Barrow Alaska.jpg|thumb|バローの通り]]
[[File:Eskimo dance Nalukataq Barrow.jpg|thumb|バローの住民]]
バローは、{{Coord|71|18|1|N|156|44|9|W|region:US-AK|display=inline,title}}に位置している。[[アメリカ合衆国統計局]]によると、市の総面積は56km²(21mi²)である。このうち48km²(18 mi²)が陸地で8km²(3mi²)が水域である。総面積の14%が水域になっている。
 
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}}
 
 
==歴史==
[[Image:Barrow sod house remains.jpg|right|thumb|土製の住居跡]]
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旧市名のバローは[[ポイント・バロー|バロー岬]]([[w:Point Barrow|Point Barrow]])から名付けられた。バロー岬の名は、[[1825年]]に岬を発見した[[イギリス]]の探検家、[[フレデリック・ウィリアム・ビーチー]]([[w:Frederick William Beechey|Frederick William Beechey]])を資金面で支えた同国の政治家、ジョン・バロー([[w:John Barrow (English statesman)|John Barrow]])にちなむ。
 
バローと名付けられる前、この地は先住民の言葉で'''ユクピアグヴィック'''(Ukpiaġvik、「[[シロフクロウ]]狩りの地」を意味する)と呼ばれていた。[[西暦]][[500年]]頃には、この地には既に人が住み着いており、[[クジラ]]や[[アザラシ]]、[[トナカイ]]などを狩りながら生活していたとみられ、近隣には[[800年]]頃の住居跡も残っている。
 
[[1825年]]にフレデリック・ウィリアム・ビーチーがバロー岬を発見。その頃は[[イギリス海軍]]が[[北アメリカ]]の[[北極海]]沿岸を測量していたが、[[1864年]]にアラスカがアメリカ領となることが確定、[[1881年]]には[[アメリカ合衆国]][[陸軍]]がバローに気象観測および[[磁極]]調査の拠点を設けた。[[1888年]]には[[長老派]]が教会を建立。[[1893年]]には[[捕鯨]]基地や[[毛皮]]取引所が置かれ、[[1901年]]には[[郵便局]]が設置された。
 
[[1935年]][[8月15日]]、当時アメリカ合衆国を代表する[[コメディアン]]であった[[ウィル・ロジャース]]が搭乗、世界一周飛行などの業績で知られた[[パイロット (航空)|パイロット]]の[[ウィリー・ポスト]]が操縦していた飛行機が川に墜落する事故が起き、両名の命が奪われた。その墜落現場は現在記念碑が建ち、[[アメリカ合衆国国家歴史登録財]]の指定を受け、またバローの空港の名前も現在「ウィリー・ポスト=ウィル・ロジャース記念空港([[w:Wiley Post–Will Rogers Memorial Airport|Wiley Post–Will Rogers Memorial Airport]])」と名付けられている。
 
[[1972年]]、バローを中心とする[[ノース・スロープ郡]]が創設された。財政に余裕ができた分を活かして、郡はバローに[[道路]]を建設し、衛生・[[水道]]・[[電力]]などの公共サービスや保健・教育サービスを充実させるなど、[[インフラストラクチャー]]整備に力を入れた。[[1986年]]には、郡は地域初の高等教育機関となるノース・スロープ高等教育センター(North Slope Higher Education Center)を開校した。[[2003年]]には同センターは2年制[[大学]]として認可を受け、名称もイリサグヴィック大学([[w:Ilisagvik College|Ilisagvik College]])と改められた。同大学は、[[エスキモー]]の伝統文化に基づいた教育を行っている。
==交通と市民生活==
バローは市外へ通ずる[[道路]]も[[鉄道]]もない、いわゆる「[[陸の孤島]]」である。バローと他地域を結ぶ唯一の交通手段はウィリー・ポスト=ウィル・ロジャース記念空港(Wiley Post-Will Rogers Memorial Airport)に発着する[[航空機]]である。[[アラスカ州]]内をカバーする[[アラスカ航空]]が就航しており、[[フェアバンクス]]や[[プルドーベイ]]を経由して州の中心都市[[アンカレッジ]]とを結ぶ便が1日2便ある。
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==人口動勢==
以下は[[2004年]]の人口統計データである。
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'''基礎データ'''
*人口: 4,680人
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**18歳未満: 7%
**65歳以上: 13%
}}
 
== 関連記事 ==
*[[タンタンの冒険]]:登場人物の一人であるハドック船長の口癖「コンコンニャローのバーロー岬」はバロー岬から来ている。
 
== 脚注 ==
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*[[:en:Barrow, Alaska]] 6/3/2006 20:08 (UTC)
*[[:en:Point Barrow]] 3/24/2006 1:33 (UTC)
 
== 関連記事項目 ==
*[[タンタンの冒険]]:登場人物の一人であるハドック船長の口癖「コンコンニャローのバーロー岬」はバロー岬から来ている。
 
==外部リンク==
{{Commonscat|Barrow, Alaska}}
*[http://www.cityofbarrow.org/ The City of Barrow] - 公式サイト {{En icon}}
*[http://www.arcticscience.org/ Barrow Arctic Science Consortium] {{En icon}}
*[http://www.kingeider.net/king5.html Barrow Info] - バローのホテル、キング・アイダー・イン(King Eider Inn)のウェブサイト {{En icon}}
*[http://www.kbrw.org KBRW Radio] - バローのラジオ局 {{En icon}}
*[http://www.city-data.com/city/Barrow-Alaska.html City-Data.com - Barrow, Alaska] {{En icon}}
*[http://maps.yahoo.com/maps_result?addr=&csz=Barrow%2C+AK&country=us&new=1&name=&qty= Barrow, AK(Yahoo!Map地図)]
 
{{アラスカ州}}