「小田島雄志」の版間の差分

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学生時代は[[詩人]]を志した。
 
妻・小田島若子とは共訳も多い。若子(旧制平林)は東大英文科の1年下であり、小田島が大学院浪人時代のシェイクスピア輪読会仲間である。若子の姉の平林千代は、作家・[[田宮虎彦]]の妻<REF>『半自伝 このままでいいのか、いけないのか』(白水社)P.84</REF>。彼女は早くに両親を亡くして[[奨学金]]で大学へ行き、卒業後[[八丈島]]の[[高等学校教諭|高校教師]]になった。その若子に、小田島は八丈島まで行って求婚したという。子供が二人できて東大講師になっても貧しく、狭い官舎で仕事ができず、喫茶店で仕事をする習慣になったとか、英国に留学した友人の[[高橋康也]]から、[[ピーター・ブルック]]の舞台を是非観ろと言われ、あちこち借金して英国に渡ったなどのエピソードがある。息子の[[小田島恒志]]も英文学者、[[早大]]教授。
 
[[2011年]][[7月1日]]から1ヵ月間にわたり[[日本経済新聞社]]朝刊・[[私の履歴書]]にて連載。