「マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
美節子 (会話 | 投稿記録)
m編集の要約なし
編集の要約なし
1行目:
{{基礎情報 皇族・貴族
[[ファイル:María| de人名 las= Mercedes de Orleans.jpg|thumb|200px|right|マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス]]
| 各国語表記 = María de las Mercedes de Orleans
| 家名・爵位 = スペイン王妃
| 画像 = María de las Mercedes de Orleans.jpg
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 続柄 =
| 称号 =
| 全名 = Marie des Grâces Isabelle Françoise d’Assise Antonia Louise Fernande Philippe Amélie Christine Françoise de Paule Raymonde Rita Cayetana Jeanne Josépha Joaquime Anne Raphaëlle Philomène Thérèse de la Très Sainte Trinité Gaspara Melchiora Balthazara de Tous les Saints d'Orléans
| 身位 =
| 敬称 =
| 出生日 = [[1860年]][[6月24日]]
| 生地 = {{ESP1785}}、[[王宮 (マドリード)|マドリード王宮]]
| 死亡日 = {{死亡年月日と没年齢|1860|6|24|1878|6|26}}
| 没地 = {{ESP1785}}、[[王宮 (マドリード)|マドリード王宮]]
| 埋葬日 =  
| 埋葬地 = {{ESP1785}}、[[エル・エスコリアル修道院]]、のち[[アルムデナ大聖堂]]
| 配偶者1 = [[スペイン]]王[[アルフォンソ12世 (スペイン王)|アルフォンソ12世]]
| 子女 =
| 父親 = モンパンシエ公[[アントワーヌ・ドルレアン (モンパンシエ公)|アントワーヌ]]
| 母親 = [[ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン]]
| 役職 =
| 宗教 = [[カトリック教会|ローマ・カトリック]]
| サイン =
}}
'''マリア・デ・ラス・メルセデス・デ・オルレアンス'''('''María de las Mercedes de Orleans''', [[1860年]][[6月24日]] - [[1878年]][[6月26日]])は、[[スペイン]]王[[アルフォンソ12世 (スペイン王)|アルフォンソ12世]]の最初の王妃。マリア・デ・ラス・メルセデスは「慈悲のマリア」を意味する名前である。フランス名は'''マリー・デ・グラース・ドルレアン'''(全名:'''Marie des Grâces''' Isabelle Françoise d’Assise Antonia Louise Fernande Philippe Amélie Christine Françoise de Paule Raymonde Rita Cayetana Jeanne Josépha Joaquime Anne Raphaëlle Philomène Thérèse de la Très Sainte Trinité Gaspara Melchiora Balthazara de Tous les Saints '''d'Orléans''')。
 
== 生涯 ==
モンパンシエ公[[アントワーヌ・ドルレアン (モンパンシエ公)|アントワーヌ]]([[フランス王国|フランス]]王[[ルイ・フィリップ (フランス王)|ルイ・フィリップ]]の末子)とその妻であるスペイン王女[[ルイサ・フェルナンダ・デ・ボルボーン|ルイサ・フェルナンダ]]([[フェルナンド7世 (スペイン王)|フェルナンド7世]]の娘)の娘として、[[王宮 (マドリード)|マドリード王宮]]で生まれた。彼女はフランス王族であったが、同時に[[インファンテ (称号)|スペイン王女]]でもあった。[[イサベル2世 (スペイン女王)|イサベル2世]]の姪にあたり、父アントワーヌは結婚と同時に[[インファンテ (称号)|スペイン王子]]の称号も授けられたためである。彼女は幼年時代を[[セビーリャ]]の[[サンテルモ宮殿]]で送った。マリアの家族はアントワーヌの王位への野心のせいで警戒され、マドリードに住めなかった。アントワーヌの子供たちには王位継承権があり、最も順位が高いマリアの兄フェルナンドは13歳で死んだ。マリアは、姉の[[マリー=イザベル・ドルレアン|マリア・イサベル]](のちルイ・フィリップの嫡孫[[フィリップ (パリ伯)|パリ伯フィリップ]]と結婚)、マリア・アメリア(19歳で死去)、マリア・クリスティーナらとともに、最も近い順位にいることになった。