「寄生地主制」の版間の差分

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日本が[[太平洋戦争]]([[第二次世界大戦]])で敗れて[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]の占領下に置かれた時に日本を統治した[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の最高司令官[[ダグラス・マッカーサー]]は、寄生地主が日本の[[軍国主義]]に加担したとして[[農地改革]]を行った。この改革により寄生地主が所有していた農地は非常に安価な価格で買い上げられ、小作人に安価な値段で売り渡された。
 
山林などは例外として対象に含まれず、これを以て完全に解体されたわけではないとの見解もあるが、[[林業]]経営が50年 - 100年といった長期間にわたり多額の[[投資]]([[間伐]]など[[人工林]]の育成経費の支出)を行い収益を得る性格上、資本力を持つ地主が直接、企業的な経営を行っているものがほとんどであることまた、[[1970年代]]以降の外国での有余った輸入材の増加に伴う[[木材]]価格の暴落により、採算に見合う山林の大部分が消滅したことなどから、それ以降はかなり長期に渡り日本林業の殆どが形骸化したとも言える。また、農地改革とは異なるが都市の宅地についても土地改革は行われなかった。
 
[[沖縄県]]および[[鹿児島県]][[奄美群島]]などは、太平洋戦争終結以降[[アメリカ合衆国による沖縄統治|アメリカの施政権下]]となったため、農地改革が行われなかった。