「マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン」の版間の差分

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1620年代、[[イングランド王国|イングランド]]王[[ジェームズ1世 (イングランド王)|ジェームズ1世]]は、マリアを王太子チャールズ(後の[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]])の花嫁に迎えたいと考えた。早速[[マドリード]]へチャールズを送り込み求婚させるが、チャールズ自身の堅物な性格と、寵臣[[ジョージ・ヴィリアーズ (初代バッキンガム公)|バッキンガム公]]の不遜な態度が災いし、婚約に至らなかった。
 
[[1631年]]、母方の従フェルディナント大公と結婚し、6子を生んだ。
*[[フェルディナント4世 (ローマ王)|フェルディナント4世]](1633年 - 1654年) - [[ローマ王]]、ハンガリー王、ボヘミア王
*[[マリアナ・デ・アウストリア|マリアナ]](1634年 - 1696年) - [[フェリペ4世 (スペイン王)|フェリペ4世]]妃