「飛鳥寺」の版間の差分

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法興寺曖昧化
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== 寺域・伽藍 ==
[[ファイル:飛鳥寺復元図.jpg|thumb|250px|飛鳥寺(法興寺)復元図]]
飛鳥寺の伽藍は、往時は塔(五重塔)を中心とし、その北に中金堂、塔の東西に東金堂・西金堂が建つ、13金堂式伽藍であっ配置という方式の伽藍の配置がされていた。これらの1塔3金堂を回廊が囲み、回廊の南正面に中門があった。講堂は回廊外の北側にあった。四天王寺式伽藍配置では講堂の左右に回廊が取り付くのに対し、飛鳥寺では仏の空間である回廊内の聖域と、僧の研鑚や生活の場である講堂その他の建物を明確に区切っていたことが窺われる。中門のすぐ南には南門があった。回廊外の西側には西門があったことも発掘調査で判明している<ref>大脇 (1989) pp.25 - 27, 36</ref>。
 
塔跡は、壇上積基壇(切石を組み立てた、格の高い基壇)、階段、周囲の石敷、地下式の心礎などが残っていたが、心礎以外の礎石は残っていなかった。心礎は地下2.7メートルに据えられ、中央の四角い孔の東壁に舎利納入孔が設けられていた。舎利容器は建久7年(1196年)の火災後に取り出されて再埋納されており、当初の舎利容器は残っていないが、発掘調査時に玉類、金環、金銀延板、挂甲、刀子などが出土した。出土品からは、この寺が古墳時代と飛鳥時代の境界に位置することが窺える<ref>大脇 (1989) pp.28 - 30</ref>。