「モンゴル語」の版間の差分

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== 表記 ==
モンゴル語の表記は歴史的に、縦書きの[[モンゴル文字]](フドゥム、胡都木とも呼ぶ)により表記される[[蒙古文語]]が専ら使用されてきた(ただし後述の[[キリル文字など]]が出てくるまで、モンゴル文字が全く伝わらなかった地域も存在する)。[[ソビエト連邦]]の全面的な支援によって中国からの独立を果たした[[モンゴル人民共和国]]では、[[1930年代]]に[[ラテン文字]]による表記体系が宣伝された時期もあり、[[1941年]][[2月1日]]には一旦ラテン文字表記が公式に採用されたが、その2か月後には撤回された。結局、[[ロシア語]]の[[キリル文字|キリル]][[アルファベット]]に2つの母音字を加えた表記体系をモスクワからの指示で[[1941年]]に採用し、言文一致の表記が可能となった。[[1957年]]にはキリル文字で書かれた教科書も出版されている。他方、中国内のモンゴル系民族は[[モンゴル文字]]や{{仮リンク|トド文字|en|Clear script}}([[オイラト語]]の表記に使用)による表記体系を現在まで維持し、モンゴル人民共和国のモンゴル語とは、文字により分断されてきた。なお、内モンゴル自治区では、文字こそ伝統的なものではあるものの、かつての文語ではなく、言文一致を指向してきたことは注意を要する
 
結局、[[ロシア語]]の[[キリル文字|キリル]][[アルファベット]]に2つの母音字を加えた表記体系を、[[モスクワ]]からの指示で[[1941年]]に採用し、言文一致の表記が可能となった。[[1957年]]にはキリル文字で書かれた教科書も出版されている。他方、中国内のモンゴル系民族は[[モンゴル文字]]や{{仮リンク|トド文字|en|Clear script}}([[オイラト語]]の表記に使用)による表記体系を現在まで維持し、モンゴル人民共和国のモンゴル語と、文字により分断されてきた。なお、[[中華人民共和国]][[内モンゴル自治区]]では、文字こそ伝統的なものではあるものの、かつての文語ではなく、言文一致を指向してきたことは注意を要する。

モンゴル人民共和国は、[[ソ連崩壊]]に伴い社会主義を脱却し、民主主義を果たして新生[[モンゴル国]]となったが、その際に、民族意識の高揚と共に、伝統的なモンゴル文字を復活させようという動きが一時高まった。[[1991年]]には国家小議会 第36号決定において、[[1994年]]からのモンゴル文字公用化が決定され、その準備が指示された。

しかし、内モンゴル自治区の新たな文字表記との接触がほとんどなかった一般国民の間では、「モンゴル文字」イコール「話しことばとは無関係の文語」というイメージが定着してしまっており、言語そのものと文字の関係に関する正しい理解が得られなかったことなどから、一時期は正式に計画されていたモンゴル文字への全面的な切り替えは正式に中止された。

現在、モンゴルの一般教育では週1時間のモンゴル文字の時間が設置されているが、社会的にはすっかり無関心になっていることもあり、生徒達も自分の名前をモンゴル文字で書ける程度である。なお、モンゴル政府は、パソコン上での使用のための[[ラテン文字]]への置換え基準を正式に制定したが、国民の規範意識は低く、[[電子メール]]などでは個人によってバラバラの表記が通用している。
 
歴史的には、16世紀以降のチベット仏教の普及に伴い、[[チベット文字]]を俗語であるモンゴル語の表記に用いることも、僧侶たちの間では広く行われ、現在でもその伝統は一部継続している。また、チベット文字を基にした[[パスパ文字]]は元朝の公用文字のひとつであり、モンゴル語の表記にも広く使われた。また、チベット文字などインド系文字を参照しながら作り上げられた[[ソヨンボ文字]]という文字も存在している。『[[元朝秘史]]』は明代に中国で翻訳された版本が残っているが、ここでは原文であるモンゴル語を、[[漢字]]で音訳し表記している。