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'''メルセデス・ベンツ・W165''' ({{lang|de|Mercedes-Benz W165}}) [[メルセデス・ベンツ]]が開発した[[ヴォワチュレット]]レース用のレーシングカー。W165はその唯一の実戦となった[[1939年トリポリグランプリ]]において1-2フィニッシュでの優勝を記録した。このレースでは[[ヘルマン・ラング]]がチームメイトの[[ルドルフ・カラツィオラ]]を抑えて優勝を飾った。
 
W165はこの年の{{仮リンク|トリポリグランプリ|en|Tripoli Grand Prix}}に参加することを目的として僅か6ヶ月で設計・開発された。北アフリカの高速サーキットで行われるトリポリグランプリは当時のモーターレーシングにおける重要なイベントの1つだったが、1939年のグランプリ開催に当たり主催者はルールを改正し、メルセデスや[[アウトウニオン]]の既存のマシンは参加不可能になった。これはドイツ勢の圧倒的な勝利を嫌い、代わりに[[アルファロメオ]]や[[マセラティ]]といったイタリアメーカーを優勝させるための試みだった。W165は[[第二次世界大戦]]後のレースに参加することは無かったが、スーパーチャージャー付 1.5L V8エンジンを搭載するこのマシンは1946年から1951年までの戦後のグランプリにもレギュレーション上は参戦可能だった。一方で1939年のトリポリグランプリにも参戦し、W165と対決した[[アルファロメオ・158]]は戦後間もない時期のグランプリにおける最も強力なマシンとなった。[[1938年のグランプリ・シーズン|1938年]]から[[1939年のグランプリ・シーズン|1939年]]までメルセデスのグランプリ・レーシングカーとして主に使用されたのは大排気量の[[メルセデス・ベンツ・W154|W154]]であり、小排気量で活躍できるカテゴリーが限られるW165はこの1レースを最後に二度と使用されることはなかった<ref>{{cite web |title=Mercedes-Benz |url=http://www.kolumbus.fi/leif.snellman/c9.htm|accessdate=3 December 2016}}</ref>
[[インディアナポリス・モーター・スピードウェイ]]の当時のオーナー、{{仮リンク|トニー・ハルマン|en|Tony Hulman}}の招待を受けたカラツィオラは[[1946年のインディ500]]にW165で参加しようとしたが、[[スイス]]の[[税関]]がW165を国外に持ち出すことを許可しなかったため、カラツィオラの計画は実現しなかった<ref>{{cite web |url=http://www.atlasf1.com/2001/jan03/okeefe.html |title=East Meets West: Mercedes-Benz at Indy |author=Thomas O'Keefe |work=AtlasF1.com |accessdate=27 January 2010}}</ref>
 
==記録==
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[[Category:メルセデス・ベンツの車種|W165]]
[[Category:レーシングカー]]
 
 
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