「岩槻宿」の版間の差分

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日光御成道に面した両側にある岩槻宿は、「加倉口から城下に入ると市宿町、久保宿町とつづ」いており<ref name="岩槻市520">岩槻市(1985)520頁。</ref>、「岩槻宿は市宿町と久保宿町によって構成され」ており、他の城下七町は「岩槻宿の定[[助郷]]として当初より市宿町と久保宿町に付属」していた<ref name="岩槻市596">岩槻市(1985)596頁。</ref>。
 
== 岩槻九町 ==
 
=== 助郷宿駅 ===
天保14年(1843年)『宿村大概帳』によると、「当時は岩槻城下九町を総称して岩槻宿といい、その宿内人別は男一六四八人、女一七三〇人の計三三七八人であった。また、戸数は、七七八軒、うち本陣・脇本陣が久保宿町に各一軒あり、本陣は斎藤斧次郎、脇本陣は中島徳右衛門が勤めており、旅籠屋は一〇軒」であった<ref name="岩槻市597">岩槻市(1985)597頁。</ref>。「宿村大概帳」によると岩槻宿合高3,172石余<ref name="角川126" >「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三(1980)126</ref>。
 
検地は明暦2年に行われ、「石高は「田園簿」では岩付町として2,213石余」であった<ref name="角川126">「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三(1980)126< /ref>。延宝8年の宿帳によると、宿高は「宿内を二分して東原地744石余・西原地1,692石余、ほかに新田104石余、野銭永3貫955文・藍瓶役鐚2貫848文・見取場田畑36町1反9畝3歩」とある<ref name="角川126" />。
 
岩槻宿の規模は「東西11町・南北15町余」であった<ref name="角川126" />。文化・文政期の「家数は560軒余」であった<ref name="角川126" />。用水は天水が利用されていた<ref name="角川126" />。岩槻宿では、「六斎市が毎月1・6日に行われ」<ref name="角川126" />、産物には、「ネギ・ゴボウ・米・木綿などが売買」された<ref name="角川126" />。
 
=== 岩槻九町 ===
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[[安永]]3年([[1774年]])頃の岩槻宿の[[職業]]は、[[本陣]]1軒、[[酒]]屋12軒、[[穀物|穀]]屋49軒、[[味噌]]屋2軒、[[麹]]屋2軒、[[豆腐]]屋15軒、[[油屋|〆油]]屋8軒、[[石屋]]2軒、[[鍛冶]]屋1軒、[[畳]]屋2軒、[[指物]]屋1軒、[[紺屋]](こうや)7軒、[[桶]]屋6軒、[[大工]]29軒、[[木挽]]18軒、[[屋根葺]]8軒、[[名主]]12軒、[[杣工|杣(そま)]]8軒、[[皷女]]2軒、[[座頭]]6軒、[[山伏]]3軒、[[左官]]5軒、[[組頭]]19軒、[[医師]]10軒、[[湯屋]]4軒
であった<ref name="岩槻市523"/>。
 
<!--九町は
=== 伝馬制助郷 ===
{{節スタブ}}<!--九町は
*市宿町
*久保宿町
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-->
 
=== 宿駅交通・経済 ===
{{節スタブ}}
天保14年(1843年)『宿村大概帳』によると、「当時は岩槻城下九町を総称して岩槻宿といい、その宿内人別は男一六四八人、女一七三〇人の計三三七八人であった。また、戸数は、七七八軒、うち本陣・脇本陣が久保宿町に各一軒あり、本陣は斎藤斧次郎、脇本陣は中島徳右衛門が勤めており、旅籠屋は一〇軒」であった<ref name="岩槻市597">岩槻市(1985)597頁。</ref>。「宿村大概帳」によると岩槻宿合高3,172石余<ref name="角川126" />。
 
=== 伝馬制 ===
検地は明暦2年に行われ、「石高は「田園簿」では岩付町として2,213石余」であった<ref name="角川126">「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三(1980)126</ref>。延宝8年の宿帳によると、宿高は「宿内を二分して東原地744石余・西原地1,692石余、ほかに新田104石余、野銭永3貫955文・藍瓶役鐚2貫848文・見取場田畑36町1反9畝3歩」とある<ref name="角川126"/>。
 
岩槻宿の規模は「東西11町・南北15町余」であった<ref name="角川126"/>。文化・文政期の「家数は560軒余」であった<ref name="角川126"/>。用水は天水が利用されていた<ref name="角川126"/>。岩槻宿では、「六斎市が毎月1・6日に行われ」<ref name="角川126"/>、産物には、「ネギ・ゴボウ・米・木綿などが売買」された<ref name="角川126"/>。
 
== 伝馬制 ==
{{節スタブ}}
{| class="wikitable"
|+岩槻からの人馬賃銭一覧表(岩槻市(1985)594頁より。)
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|}
 
=== 伝馬制 ===
 
=== 助郷 ===
 
=== 人馬継立 ===
岩槻馬
 
== 日光社参 ==
{{節スタブ}}
{{see also|日光社参}}
* 日光社参
* 日光門主
 
== 交通・経済 ==
{{節スタブ}}
 
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=== 舟運 ===
 
== 交通 ==
'''隣の宿場町'''
*[[日光御成街道]]
::[[大門宿]] - '''岩槻宿''' - [[幸手宿]]
 
== 日光社参 ==
{{節スタブ}}
{{see also|日光社参}}
* 日光社参
* 日光門主
 
== 史跡・文化遺産 ==