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== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[兵庫県]][[加西市]]玉丘町出身。[[兵庫県立小野高等学校]]、[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東京大学法学部]]卒業。東大卒業後、[[農林水産省|農林省]]へ入省した。
 
=== 官界 ===
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新進党解党後、井上は[[小沢一郎]]党首が率いる[[自由党_(日本 1998-2003)|自由党]]に参加した。[[1999年]]、自由党は与党に加わり[[自自連立政権]]の[[小渕内閣_(第1次改造)|小渕改造内閣]]を樹立するが、[[2000年]]4月、自由党は連立政権からの離脱を決定。これに反発した井上や[[海部俊樹]]元首相、[[二階俊博]]、[[野田毅]]、[[小池百合子]]らは袂を分かち、[[保守新党|保守党]]を結党。井上は同党政務調査会長に就任する。[[2002年]]、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]を離党した[[熊谷弘]]元[[内閣官房長官]]や[[山谷えり子]]が保守党に加わり、新たに[[保守新党]]を結成する<ref>山谷は[[比例区]]選出であり、形式的に新党を結成しなければ保守党に参加できなかったため。</ref>。井上は保守新党政務調査会長に就任。
 
[[2003年]]9月、[[第1次小泉内閣 (第2次改造内閣)|第1次小泉再改造内閣]]で[[内閣府特命担当大臣(防災担当)]]に就任し、初入閣した。防災担当相のほか、[[有事法制]]の成立に向け、「事態対処法制の整備を円滑に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」もあわせて担当した。
 
[[2003年]]11月の[[第43回衆議院議員総選挙]]で、保守新党は11人の候補を擁立するも、当選者は井上を含む4人に留まる大敗を喫し、党首の熊谷弘も落選。選挙後、保守新党は解党して自民党に合流し、井上は10年ぶりに自民党に復党した。復党後、保守新党幹事長だった二階俊博が会長を務める[[新しい波_(派閥)|二階派]]に所属。