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[[画像:Eye lashes with makeup.jpg|thumb|アイシャドー]]
'''アイシャドー'''(eye shadow)は、[[]]の周囲、特に[[まぶた]]に陰影を付ける[[化粧]]法のこと。あるいはその[[化粧品]]。顔を立体的に見せる効果がある。[[油脂]]と[[蝋|ロウ]]を混ぜたクリームに[[香料]]、[[顔料]]などを混ぜて作る<ref name=chem>{{Cite book|和書|author=太田三郎|editor=化学大辞典編集委員会(編)|title=化学大辞典|volume=1|pages=4頁|edition=縮刷版第26版|publisher=共立|year=1981|month=10}}</ref>。
 
== 歴史 ==
起源は[[古代エジプト]]と言われており当時の絵画や彫刻に目の回りに彩色したものが残されている。この時代のものは単なる化粧ではなく魔よけ・虫除け・目の病気への対策であったとも言われている。古代エジプトのアイシャドーは[[孔雀石]]をすりつぶした青色の粉状のものをまぶたに塗るもので、[[ハエ]]による[[眼病]]の伝染を防ぐといった目的で用いられた<ref name="hanashinoneta_p39">毎日新聞社編『話のネタ』PHP文庫 p.39 1998年</ref>。また、最初に使ったのが[[世界三大美女]]でも知られる[[クレオパトラ]]という説もある。この風習は[[ギリシャ]]や[[ローマ]]、さらに[[アラビア]]にも伝わった。しかし、[[西ヨーロッパ]]には伝わらなかった。[[ヨーロッパ]]で一般化するのは[[20世紀]]の半ば、すなわちほぼ現代になってからであり、メイクのポイントが口もとから目もとに移ってきてからとされる。
 
日本では魔よけとして目尻に赤く塗る[[赤土]]化粧に始まる。いわゆる現代のアイシャドーは西欧からの輸入であり、入ってきたのは[[明治時代]]頃とされる。だが当時はほとんど普及せず、女性一般に浸透したのは[[昭和時代]]に入ってから。元は夜にする化粧とされた。
 
現代では茶色、青、赤、紫、緑など様々な色が使われる。また[[パール]]や[[ラメ]]などが配合されるなど、様々なタイプの質感がある。発色や持ちを良くするために、アイシャドーベースと呼ばれる[[化粧下地|下地]]を塗布してから使用することもある。[[ノーズシャドー]]という鼻に付ける物も存在する。
 
== 種類 ==
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; パウダータイプ
: サラサラの粉または粉を固めたケーキ状のもの。[[チップ]][[ブラシ]]、または指にとって使用する。1色だけ(単色)のものから2~4色以上入った[[パレット (絵画)|パレット]]状のものなど様々である。パレット状のものは、とくに[[まぶた]]の際に使用するいわゆる「締め色」と呼ばれる明度の低い濃い色と、まぶた全体にぼかして使用する明度の高い淡い色とが、それぞれ1色以上ずつ含まれていることが多い。このような色の濃淡の組み合わせや[[グラデーション]]効果で、立体感のある目もとが作りやすい。
; クリーム(ムース)タイプ
: ポットなどからチップ、または指にとって使用する。単色でもつや感を出すのに適している。