「コメット連続墜落事故」の版間の差分

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* [[1953年]][[6月25日]]、[[フランス]]の[[UTA|UTA航空]]の Mk.IA (F-BGSC<ref>[http://aviation-safety.net/database/record.php?id=19530625-0 aviation-safety.net/database/record.19530625-0]</ref>、通算19番機)が、[[セネガル]]の[[ダカール]]空港への着陸進入に失敗して滑走路を逸脱し、外溝に飛び込み車輪をもぎ取られた。各安全装置が正常に作動したため乗員7名乗客10名は全員無事だったが、保険が下りたため事故機は現地で放棄された。就航から7週間であった。
 
何れの事故も操縦ミスが事故原因とされたが、原理的に失速特性に難がある後退翼と、応答性が緩慢なエンジン、アンダーパワーで加速力不足な機体特性、[[地面効果]]とが相俟って、離陸時の機首上げが早いと失速から[[オーバーラン]]を招く傾向がコメットには強いことが改めて指摘された。この難点は開発中から承知であ認識されており、試作機では離陸用に補助[[ロケットエンジン]]をテストしたこともあったが、出力向上型の軍用「ゴースト」の民生転用が許可されたため、量産機では採用されていなかった。
 
デ・ハビランド社は[[主翼]]前縁を離陸時に失速しにくい形状に変更し、[[高揚力装置#前縁フラップ|スラット]](翼前縁に設ける引込式の揚力増大装置)を新設した。この教訓から、後に開発されたジェット旅客機の殆どはスラットを標準装備するようになったが、高速化目的で敢えてスラットを除外した[[コンベア880|コンベア CV880]]は、初期型コメット同様の事故を反復し失敗作に終わっている。