「リトル・トーキョー」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]後の[[1940年代]]後半には、リトル・トーキョー周辺には数多くの日本人、日系人が定住、[[映画館]]も「ラブレア東宝」、「富士館」等5軒程あり、[[日活]]、[[東映]]、[[東宝]]、[[松竹]]等、日本のメジャー各社が劇場を運営、こうした邦画専門館は「日本とアメリカのへその緒」とも云われ、遠い祖国へ想いを馳せる日系人の憩いの場となった。[[1960年代]]には、[[寿司]]カウンターを備えた日本食レストランが誕生、アメリカにおける[[寿司屋|寿司文化]]発祥の地ともされる[http://www.jba.org/news/entrepreneur/index.html][http://www.sushimasters.com/history-pioneers.htm]。
 
3世、4世に世代の中心が移りアメリカ社会に同化し、さらに高学歴かつ裕福な層が増加した新世代の日系人達は、地価が高く治安も良く、さらに「[[トヨタ自動車|アメリカ・トヨタ自動車販売]]」や「[[本田技研工業|ホンダ・オブ・アメリカ]]」、「[[リコー|リコー・アメリカズ・コーポレーション]]」などの多くの日系企業がオフィスを構える[[ロサンゼルス]]の南部に位置する[[オレンジ郡 (カリフォルニア州)|オレンジ・カウンティ]]や[[サウスベイ (サンフランシスコ・ベイエリア)|サウスベイ地区]]([[トーランス (カリフォルニア州)|トーランス市]]、[[:en:Gardena,ガーデナ California(カリフォルニア州)|ガーデナ市]])、北側に隣接する[[グレンデール (カリフォルニア州)|グレンデール市]]などに住居を構える者が増え、それに併せて日本企業の駐在員もこれらの地域に住居を構えるものが増えた。また日系人向け、日本人向けのレストランや店舗もそれらの地域に移り、リトル・トーキョー地区の日系人口が減少して行った。これらの動きを受けて、[[1990年代]]には「加州毎日」や「新日米」、「クロスロード」等の老舗日系新聞メディアが次々と日系社会から姿を消した上に、総[[領事館]]も[[ダウンタウン (ロサンゼルス)|ダウンタウン]]に移転した。
 
[[21世紀]]に入ると、周辺に新居住区計画として、数多くのアパート、マンション等が乱立していくが、購入者の大半が韓国系である事が最近分かった。このようなアジア系人口の増加を受けリトルトーキョーの人口は数年後に4倍になるとも云われている。