「荒木伸吾」の版間の差分

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ジャガードは虫プロダクションの作品とともに[[東京ムービー]]の作品の作画も手がけて、荒木も[[楠部大吉郎]][[作画監督]]の下で『[[巨人の星 (アニメ)|巨人の星]]』の劇画タッチの作画に挑戦し、劇中の一つのクライマックスになる飛雄馬の大リーグボール1号を花形満が打ち返すパースを強調させたシーンの作画は語り草となった。
 
[[1970年]]から、虫プロダクションで[[杉野昭夫]]、[[金山明博]]との3人共同で『[[あしたのジョー]]』の作画監督を務めた。また、この年から『[[キックの鬼]]』『[[魔法のマコちゃん]]』で作画監督をしたのを手始めに[[東映アニメーション|東映動画]]作品にも参加するようになった。1971年には友人とスタジオZを設立(後輩の[[金田伊功]]、[[貞光紳也]]、[[富沢和雄]]もここに在席)。[[1973年]]にフリーになり、テレビアニメ『[[バビル2世#バビル2世(1973年)|バビル2世]]』で荒木は初のキャラクターデザインを任された。これらは初期のキャラクターでは最も愛着が強いという。
 
さらに[[東映アニメーション|東映動画]]では、[[1973年]]の『[[キューティーハニー]]』、[[1974年]]の『[[魔女っ子メグちゃん]]』、[[1975年]]の『少年徳川家康』『[[UFOロボ グレンダイザー]]』、[[1977年]]の『[[惑星ロボ ダンガードA]]』と立て続けに東映動画作品のキャラクターデザインをして、荒木の名を印象付けた。特に『惑星ロボ ダンガードA』の男性キャラクターのトニー・ハーケンは女性ファンの支持を得た。