「臨済宗」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
ホシ9 (会話 | 投稿記録)
編集の要約なし
7行目:
 
日本には[[栄西]](1141 - 1215年)以降、中国から各時代に何人もの僧によって持ち込まれ、様々な流派が成立した。[[黄檗宗]]も元来、中国臨済宗の一派である。歴史的に[[鎌倉幕府]]・[[室町幕府]]と結び付きが強かったのも特徴の1つで、[[京都五山]]・[[鎌倉五山]]のどちらも全て臨済宗の寺院で占められている他、[[室町文化]]の形成にも多大な影響を与えた。江戸時代の[[白隠慧鶴]](1686 - 1769年)が中興の祖として知られる。
 
臨済宗国泰寺派「全生庵」は、江戸無血開城の立役者として知られる幕臣、山岡鉄舟が建てたものである。文化庁によると、全国に寺は約7万7000あり、幕末からの官軍の人々を弔う場所は靖国神社があり、山岡は、官軍も、賊軍こと旧幕府軍もなく、国事に殉じた方々を分け隔てなく弔う場所を作りたいと考え、1883年(明治16年)に全生庵を創建したとされている。<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/local/ishikawa/news/20170911-OYTNT50187.html 「山岡鉄舟と北陸」 読売文化フォーラム]</ref>
 
 
 
== 中国における臨済宗 ==