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[[ファイル:Ubeda.jpg|thumb|バスケス・デ・モリーナ広場のエル・サルバドル聖堂と司教長オルテガの館(現在は[[パラドール]])]]
'''ウベダ'''({{lang|es|Úbeda}})は、[[スペイン]]・[[アンダルシア州]][[ハエン県]]の[[ムニシピオ]](基礎自治体)。[[2014年]]の人口は35,177人であり、この地域の行政、経済の中心地である。[[2003年]]、西隣の町[[バエサ]]の建造物とともに、[[ルネサンス様式]]の建造物群が「[[ウベダとバエサのルネサンス様式の記念碑的建造物群]]」として[[世界遺産]]に登録された。
 
イスラム教徒による支配ののちに、[[1212年]]、[[ナバス・デ・トロサの戦い|ラス・ナバス・デ・トロサの戦い]]で[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]王[[アルフォンソ8世 (カスティーリャ王)|アルフォンソ8世]]がこの町を奪ったが、まもなく奪い返された。[[1233年]]、[[フェルナンド3世 (カスティーリャ王)|フェルナンド3世]]がこの町とハエンの大部分を占領し、ウベダはイスラム勢力との境界となった。
 
[[ナスル朝|グラナダ王国]]への[[レコンキスタ]]が終了したのちスペイン王[[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カルロス1世]](神聖ローマ皇帝カール5世)の宰相フランシスコ・デ・ロス・コボスがこの町を支配した。コボスが町作りに力を注いだ結果、バスケス・デ・モリーナ広場を中心に美しい建築物が残されている。
 
== 人口 ==