「無限・MF204」の版間の差分

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=== MF204誕生から供給の中断 ===
1988年の全日本F3選手権にはホンダの[[ワークス・チーム|ワークス]]エンジンとして[[中谷明彦]]をドライバーに起用し、参戦初年でチャンピオンエンジンとなった。[[1989年]]、[[1990年]]もチャンピオンエンジンとなり、他のエンジンを使用しているドライバーからも「無限エンジンでないとチャンピオン争いが出来ない」と言われる程に完成度が高いエンジンでもあった。またこの1988年からイギリスF3にも供給を行い、参戦初年度からタイトル争いに加わるエンジンとなり[[1990年]]に[[ミカ・ハッキネン]]によりチャンピオンエンジンとなった。その後も無限を含めて幾つかはトムスエンジンチューナーによってエジンの開発が行われ、他のグするエンジンメーカー激しいタイトル争い合う形で戦いが繰り広げられた。
 
しかし、「MF204B」登場から10年以上経過した[[20002003年]]代に入ってからは他社製エンジン優位性が目立った事により、全日本では[[2003年]]F3選手権から「MF204C」がデビュー。イギリスでは「MF204B」が引き続き供給された。全日本では主に[[童夢 (自動車会社)|童夢]]がMF204Cを使用し、当時童夢が[[ローラ・カーズ|ローラ]]と共同開発していたシャシーとの組み合わせで、主なライバルである[[トムス]]や[[INGING]](どちらも[[トヨタ自動車|トヨタ]]陣営)らと互角のいを演じったが、結局このエンジンでのタイトル獲得は叶わなかった。
 
[[2007年]]をもって無限によるエンジン供給が終了し、以後全日本では[[戸田レーシング]]、イギリスでは[[ニール・ブラウン・エンジニアリング]]によってチューニングおよび供給が行われた。しかし、主なライバル(全日本では[[トヨタ・AZエンジン|トヨタ・1AZ-FE]]、イギリスでは[[メルセデス・ベンツ]]と[[フォルクスワーゲン]])に比べ戦闘力が見劣りする状況は否めず、全日本では[[2010年]]に戸田レーシングが撤退したためMF204はその姿を一旦消した。