「ギリシャ・イタリア戦争」の版間の差分
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===英軍と独軍の参戦===
戦争を楽観視していたムッソリーニはここで考えを改め、司令官の罷免と軍の増派を決定する。かくしてギリシャ軍とその地形を過小評価していたヴィスコンティ・プラスカ将軍は罷免され、新たに[[ウバルド・ソッドゥ]]将軍が指揮官に着任。戦力面では本国から6個師団の投入が決定するものの、
一方その頃、同じバルカン半島の国である[[ブルガリア]]と[[ユーゴスラビア]]が枢軸側に立って参戦、ドイツ軍がブルガリアへの進駐を開始していたが、枢軸側参戦から数日後にユーゴズラビアで親英派のシモヴィッチ将軍によるクーデターが決行され、同国は連合国側に寝返ってしまった。[[アドルフ・ヒトラー]]は不安定化したユーゴズラビアへの介入を決断、対ソ戦を延期して[[ユーゴスラビア侵攻|ユーゴスラビアへ南下する]]。ムッソリーニはヒトラーの要請に応じて軍部隊をユーゴズラビアへ派遣(これらの伊軍部隊はその後二次大戦終戦まで[[チトー]]の[[パルチザン (ユーゴスラビア)|パルチザン]]討伐に明け暮れる事になる)し、またドイツ軍もギリシャ戦線へ3個軍団を援軍として投入。既に本土から新たに数個師団の増援を得ていたイタリア軍はドイツ軍と共に攻勢に転じ、挟撃されたギリシャ軍は総崩れになる。4月23日、ギリシャ政府はイタリア政府に降伏を申し入れ、これをイタリア側が受領した事で戦争は終結した。
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