「デンマーク王位継承順位」の版間の差分

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=== 1953年の継承法 ===
{{Main|デンマーク王位継承法}}
デンマークの王位継承法は、1853年以降に改正されて以降、[[グリュックスブルク家|グリュックスブルク王朝]]の始祖[[クリスチャン9世 (デンマーク王)|クリスチャン9世]]王の男系男子の直系子孫に広く王位継承権を認めてきた。しかし100年後の1953年3月27日に行われた継承法の改定<ref>{{cite web |url=http://www.oefre.unibe.ch/law/icl/da01000_.html |title=ICL - Denmark - Succession to the Throne Act |accessdate=2011-04-16 |archiveurl = httphttps://web.archive.org/web/20070227141143/http://www.oefre.unibe.ch/law/icl/da__indx.html |archivedate=2007年2月27日 |deadurldate=2017年9月 2007-02-17}}</ref>により、王位継承資格を保有する要件は大幅に変更された。
 
血統上の資格要件では、クリスチャン9世の孫にあたる[[クリスチャン10世 (デンマーク王)|クリスチャン10世]]王とその妻[[アレクサンドリーネ・フォン・メクレンブルク=シュヴェリーン|アレクサンドリーヌ]]王妃の直系子孫のみに王位継承権が限定された。これに伴い、王位継承資格はクリスチャン10世の2人の息子、[[フレゼリク9世 (デンマーク王)|フレゼリク9世]]王とその弟[[クヌーズ (デンマーク王子)|クヌーズ]]王子、及び彼ら兄弟の子孫にしか認められなくなった。ただし、改正によって継承権を失った王族たちは、その後もデンマーク王族としての称号を保持することを許されていた。王位継承権を持つ王族とそうでない王族を区別するため、王位継承権者の王族は特に「''Prins/esse '''til''' Danmark''」と称すると定められ、王族の称号を持つが継承権者の列から排除された者はそれまで通りの「''Prins/esse '''af''' Danmark''」を使用するとされた。
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=== 2009年の継承法改正 ===
[[フォルケティング|デンマーク議会]]は2008年、王位継承資格を近隣国の[[ノルウェー]]および[[スウェーデン]]と同様に、性別に関わりのない長子優先の形式に変更する継承法改正案について討議・投票を行った。法案は議会を通過して{{仮リンク|2009年デンマーク国民投票|en|Danish Act of Succession referendum, 2009|label=2009年の国民投票}}により国民の審判に委ねられ、賛成票85%の圧倒的な支持を得て男女の別の無い長子相続制に変更された<ref>{{cite web|url=http://danishroyalwatchers.blogspot.com/2008/10/danish-referendum-on-succession-in-june.html |title=Danish referendum on succession June 2009|accessdate=2013-03-12}}</ref>。ただし、新しい継承序列は法改正の成立後から適用されることになり、それ以前に出生した王位継承権者の序列が遡及的に影響を受けることはないとされた<ref>{{cite web|url=http://tvnz.co.nz/view/page/411366/738664 |title=Females get the nod in Denmark | WORLD | NEWS | tvnz.co.nz |accessdate=2008-06-24}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.folketinget.dk/?/Samling/20051/lovforslag/L1/som_vedtaget.htm |title=Folketingets informationssystem |accessdate=2008-06-24}}</ref>。この法改正に伴う継承序列が適用されたのは2011年、[[フレデリク (デンマーク王太子)|フレゼリク]]王太子の次男[[ヴィンセント (デンマーク王子)|ヴィンセント]]王子が誕生した際、姉の[[イサベラ (デンマーク王女)|イサベラ]]王女よりも継承順位において下位に置かれたのが始めとなる<ref>[http://www.kronprinsparret.dk/86d2774 A Prince and a Princess are born] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20110111041058/http://www.kronprinsparret.dk/86d2774 |date=2011年1月11日 }}. Retrieved 18 January 2011.</ref>。
 
=== 資格要件と問題点 ===
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しかし継承法の定める同意を得た婚姻をしながら、政治的な観点から王位継承資格を失った例もある。フレゼリク9世の三女[[アンナ=マリア (ギリシャ王妃)|アネ=マリー]]王女は1964年、[[ギリシャ王国|ギリシャ]]王[[コンスタンティノス2世 (ギリシャ王)|コンスタンディノス2世]](デンマーク王子の称号を持つ王家の血族である)と結婚した際、結婚の承認を得る代わりに自身と子孫のデンマーク王位継承権を放棄させられている<ref name="peter"/>。
 
また1968年にフレゼリク9世の次女[[ベネディクテ (デンマーク王女)|ベネディクテ]]王女がドイツ人と結婚した際は、王女の子供(および子孫)たちは[[義務教育]]を終了するまで恒常的にデンマーク国内に滞在することが、王位継承資格を認められる条件とされた。王女の3人の子供たちはいずれもこの条件を満たさなかったと見なされ、王位継承資格者と認められず、王位継承順位の序列からも排除されている<ref>[http://kongehuset.dk/english/the-royal-house The Royal House - The Danish Monarchy] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20140208201408/http://kongehuset.dk/english/the-royal-house |date=2014年2月8日 }}</ref>。彼らが王位継承資格を認められない根拠、ベネディクテ王女の子孫が今後その条件を完璧に満たしたならば王位継承資格を認められるのかどうか、彼らの継承資格の否認は[[合憲]]かどうか、といった論点は、いずれも不明確で曖昧なままになっている。ヘンリク・セーレ(Henrik Zahle)を中心とする一部のデンマーク人法学者は、ベネディクテ王女の子孫には王位継承資格が有ると主張している<ref name="peter">{{cite web| last = Kurrild-Klitgaard| first = Peter| title = Conditional Consent, Dynastic Rights and the Danish Law of Succession| work = Hoelseth's Royal Corner| publisher = Dag Trygsland Hoelseth| date = 1999-02-02| url = http://web.archive.org/web/20090807131446/http://geocities.com/dagtho/dk-suc-law.html| accessdate = 2008-08-03| archiveurl =http https://web.archive.org/web/20090807131446/http://geocities.com/dagtho/dk-suc-law.html| archivedate = 2009-08-07年8月7日| deadurldate = 2017年9月}}</ref>。
 
== 王位継承順位 ==