「セシル・B・デミル」の版間の差分

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[[1950年]]、[[全米監督協会]]で評議員の立場にあったデミルは「映画の撮影中に関係者全員の政治的傾向について何か気付いたり、知り得た場合は包み隠さず監督協会に報告する」との規定を設けるよう提案し、自分に反目する当時の会長[[ジョーゼフ・L・マンキーウィッツ]]がたまたまヨーロッパ旅行中で不在だったのを見計らい、同調する協会員を懐柔するため画策し、これを通すとともに会長不信任案を提出。無論マンキーウィッツ側も黙っておらず、[[フレッド・ジンネマン]]、[[ジョージ・スティーヴンス]]らの支援を受け、デミル擁護派と真っ向対立し、同年[[10月22日]]に緊急総会が招集された。
 
深夜まで紛糾したこの席上、それまで態度を表明していなかったフォードが発言、「私の名前はジョン・フォード、ウェスタンを撮っている者です。アメリカの観客全員がデミルをどれほど深く愛しているかはよく存じている。」と、皮肉に富んだ挨拶の後、デミルを凝視しながら「だがデミルの発言と今夜の振舞いは気に入らない。私としてはマンキーウィッツに信任の一票を投じたい。そして早く家に帰って眠ろうじゃないか。みんな明日には撮影を控えているんだろう?」と名指しでデミルを非難。普段寡黙なフォードの一言は大きく影響し、マンキーウィッツの会長留任が採決され、デミルの提案は却下。協会評議員の地位を追われる結果となった<ref>{{Cite book |author=[[蓮實重彦]] |year=1993 |title=ハリウッド映画史講義―翳りの歴史のために |page= |publisher=[[筑摩書房]] |isbn=978-4480871763 }}</ref>。
 
== 死去 ==