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== 生涯 ==
[[紀元前333年]]、[[マケドニア王国|マケドニア]]軍との[[イッソスの戦い]]で父王が敗走すると、遠征に同行していたスタテイラは母、祖母ら家族と共に陣中に取り残され、マケドニア軍に捕らえられた。<br />
最初、[[サトラップ|太守]][[マザイオス]]と婚約していたが、マザイオスは[[紀元前328年]]に死に、[[紀元前324年]]2月{{仮リンク|スーサの結婚式|en|The Susa weddings|label=合同結婚式}}でアレクサンドロス3世と結婚した。この時アレクサンドロスは同時に[[アルタクセルクセス3世]]の娘{{仮リンク|パリュサティス2世|en|Parysatis II}}とも結婚している。しかし翌[[紀元前323年]]に大王が急逝すると、大王の最初の妃[[ロクサネ]]によって、スタテイラは妹ドリュペティスともども殺害された<ref>[[プルタルコス]]、『[[対比列伝]]』、アレクサンドロス伝、 77.4</ref>。
 
[[2世紀]]の歴史家[[アッリアノス]]はスタテイラのことを「バルシネ」と呼んだが、[[ロドス島]]の[[メムノン]]の妻[[バルシネ]]とは別人である<ref>アリアノス、『アレクサンドロス大王東征記』. 7.4.4-8</ref>。