「ラングレー (CV-1)」の版間の差分

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ジュピターは海上で航空機を運用するという新たな考えの実験のため、[[ノーフォーク海軍工廠]]でアメリカ海軍初の航空母艦に改装された。[[1920年]]4月11日に天文学者であり航空学のパイオニアである[[サミュエル・ラングレー]]に因み、'''ラングレー'''と改名され、CV-1(航空母艦)に艦種変更される。ラングレーは[[1922年]]3月20日にケネス・ホィッティング艦長の指揮下再就役する。アメリカ海軍初の航空母艦がラングレーと命名されたのは、[[オーヴィル・ライト]]と合衆国政府の対立の一端が現れたものであった。
 
アメリカ海軍初の航空母艦として、ラングレーは数多くの重要な出来事の現場となった。1922年10月17日にバージル・C・グリフィン中尉は最初の飛行機、{{仮リンク|ヴォート VE-7|en|Vought VE-7}}を操縦し発艦した。飛行機が船から発艦したことおよび飛行甲板を装備した艦はラングレーが初めてではなかったが、グリフィン中尉の発艦はアメリカ海軍の記念碑的出来事であった。9日後、[[ゴッドフリー・シャヴァリア]]少佐は{{仮リンク|エアロマーリン 39|en|Aeromarine 39}}で最初の着艦を行った。11月18日にホィッテング艦長が発艦を行い、空母艦上から[[カタパルト]]で発艦を行った初の飛行家となった。
 
1923年1月15日までラングレーはカリブ海で着艦試験を行う。6月に[[ワシントンD.C.]]へ向かい、ラングレーは軍の高官および市民の目前でデモンストレーションを行った。6月13日にノーフォークに帰還し、同年末まで大西洋岸および[[カリブ海]]で訓練に従事した。1924年に入るとラングレーはより多くの演習および展示会に参加し、夏にはノーフォークで修理および改装が行われた。同年末には西海岸へ向かい、11月29日に[[サンディエゴ]]に到着、太平洋戦闘艦隊に加わる。その後12年にわたってカリフォルニア沖および[[ハワイ]]で実験、パイロット訓練、艦隊演習などに従事した。