「太平御覧」の版間の差分

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高麗の輸入
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m (高麗の輸入)
 
版本としては、日本に伝来した[[1199年]]([[慶元]]5年)の蜀刻本の残本945巻が知られる。これに基づき、別系統の宋本で補った『[[四部叢刊]]三編』([[上海市|上海]]:[[商務印書館]]、[[1935年]])所収の景宋本、および、その重印本([[中華書局]]、[[1960年]])が見られる。
 
宋は国内情報が敵国等に流出するのを恐れ、太平御覧を含めた文献資料の海外持ち出しを禁じていた。
高麗は宋を範にするため太平御覧を重視し、提供を繰り返し願い出ているが、その度に却下され続けた。微宗の登輝の祝賀に際して派遣された高麗の官僚の努力で下賜がまとまり、高麗の実務行政の長と一行が訪問し携えて帰国、1101年(肅宗6)念願の太平御覧1000冊を入手することができた<ref>「[http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00106199-00000014-0267.pdf?file_id=64434 通典の諸版本について]」</ref>。
 
 
== 外部リンク ==