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[[ファイル:Peyo (1990) by Erling Mandelmann.jpg|200px|thumb|right|ペヨ、1990年]]
[[ファイル:Peyo-signature.png|100px200px|right|ペヨのサイン]]
'''ペヨ'''(Peyo、(Peyo, [[1928年]][[6月25日]] - [[1992年]][[12月24日]])は、[[ベルギー]]の[[イラストレーター]]、[[漫画家]]である。[[コミック・ストリップ]]の[[スマーフ]]で最も良く知られている<ref>{{cite news|title= Pierre Culliford; Created the Widely Popular Smurfs |publisher= LA Times|date=25 December 1992|url= http://articles.latimes.com/1992-12-25/news/mn-2392_1_pierre-culliford|accessdate=2010-08-24 | first=Burt A. | last=Folkart}}</ref>。本名は'''ピエール・キュリフォール''' (Pierre Culliford) だが、ペヨという名前で知られている。
 
== 生涯 ==
ペヨは1928年に[[ブリュッセル]]で[[イギリス人]]の父とベルギー人の母の間に生まれた<ref name=Weyer>De Weyer, Geert (2005). "Peyo". In België gestript, pp. 148-149. Tielt: Lannoo.</ref>。
 
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1952年、フランカンはペヨを1938年にベルギーで発刊したデュピュイ社の子供用漫画雑誌「[[スピルー]]」に紹介した<ref name=Weyer/>。ペヨはPierrotやBenoit Brisefer等の多数のキャラクターや脚本を執筆した。しかし彼の一番のお気に入りは、かつて連載していた''Johan''の続編となる『[[ジョアンとピルルイ]]』''Johan et Pirlouit''であった。さらにスピルーでは、''Poussy''の連載も続けた。
 
=== スマーフ ===
スマーフは、1958年10月23日の『ジョアンとピルルイ』の中で初めて登場した。スマーフの人気が高まってくると、ペヨは1960年代初頭に自身のスタジオを設立し、その中では多数の才能ある漫画家が仕事を始めた。ペヨ自身は仕事を監督した。このスタジオで働いていた著名な漫画家は、Walthery、Wasterlain、Gos、Derib、DegieterやDesorgher等である。
 
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1992年、[[心臓発作]]によりブリュッセルで死去。64歳没。
 
== 受賞など ==
* 1984年に開催されたフランスの[[アングレーム国際漫画祭]]では9歳から12歳向けのYouth Prizeを受賞した。
* ペヨの生誕80周年とスマーフの50周年を記念して、2008年に5ユーロ記念硬貨が製作された。
 
== 出典 ==
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== 外部リンク ==
* [http://lambiek.net/artists/p/peyo.htm Peyo biography] on Lambiek Comiclopedia, lambiek.net
* [http://www.dupuis.com/servlet/jpecat?pgm=VIEW_AUTHOR&lang=UK&AUTEUR_ID=92 Peyo biography], dupuis.com {{en icon}}