「ナッサウ家」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
MDR-SK (会話 | 投稿記録)
35行目:
 
== ヴァルラム系(ナッサウ=ヴァイルブルク家) ==
{{Main|:en:House of Nassau-Weilburg}}
ヴァルラム2世の子[[アドルフ (神聖ローマ皇帝)|アドルフ]]は、[[1292年]]に[[ローマ王]]に選出されたが一代限りに終わり、以後アドルフの家系はドイツの小貴族として続いた。アドルフの孫ヨハン1世{{enlink|John I of Nassau-Weilburg|a=on}}は1355年にヴァイルブルク伯となったため、この家系はナッサウ=ヴァイルブルク家と呼ばれる。<br />
[[1806年]]に[[ナッサウ公国]]が成立し、[[ドイツ連邦]]時代までナッサウ=ヴァイルブルク家の[[フリードリヒ・アウグスト (ナッサウ公)|フリードリヒ・アウグスト]]{{enlink|Friedrich August (Nassau-Usingen)||de|a=on}}、[[ヴィルヘルム (ナッサウ公)|ヴィルヘルム]]、[[アドルフ (ルクセンブルク大公)|アドルフ]]の3代のナッサウ公が治めた。[[普墺戦争]]で[[オーストリア帝国|オーストリア]]方についたため、[[1866年]]にナッサウ公国は[[プロイセン王国]]に併合され、[[ヘッセン=ナッサウ州]]となって姿を消した。しかし[[1890年]]、アドルフは[[ルクセンブルク大公]]に迎えられ、以後その子孫が大公家として続いている。<br />