「金剛山 (金剛山地)」の版間の差分

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[[大阪みどりの百選]]に選定されている<ref>{{citeweb|url= http://www.pref.osaka.lg.jp/midorikikaku/toshiryokka/hyakusenn.html|title= 大阪みどりの百選|publisher=大阪府 |accessdate=2016-12-23}}</ref>。
 
== 役小角との関係歴史 ==
=== 「葛城山」の呼称 ===
金剛山は[[修験道]]の開祖[[役小角]](役行者)が修行した山として知られている。役行者は今から約1,300年前、16歳の時から、この山で修行し、全国各地の[[霊山]]へ駆け巡ったと伝えられる。山頂付近には役行者が開いたとされる[[転法輪寺 (御所市)|転法輪寺]]([[真言宗醍醐派]]、葛城修験道大本山)がある。近くには[[一言主]]を祭神とする[[葛木神社 (御所市)|葛木神社]]がある。
 
毎年7月7日の役行者の命日には一言主ノ神を祀る葛木神社と法起菩薩を本尊とする転法輪寺との珍しい[[神仏習合]]のれんげ祭りが行われている。
 
== 楠木正成との関係 ==
金剛山周辺には[[太平記]]の英雄[[楠木正成]]の城であった[[千早城]]、[[上赤坂城]]、[[下赤坂城]]の城跡や楠公誕生地など、正成ゆかりの史跡が点在している。楠木正成の[[菩提寺]]であった[[観心寺]]には、正成が少年期に学問を修めた記録が残っている。また古来より金剛山[[鎮守]]と称された、[[建水分神社]]は[[楠木氏]]の[[氏神]]であり、[[本殿]]([[重要文化財]])は正成が再建したもので、[[境内]]にある[[摂社]]の南木神社は正成を祀る最古の[[神社]]である。
 
== 「葛城山」の呼称 ==
「'''葛城山'''」の呼称は、歴史的には南北に連なる金剛山と葛城山([[大和葛城山]])との総称として用いられた。その第一峰を高天山と称し(『大和名所図会』)、金剛山の別称は金剛砂を産出したことによる(『大和志料』)とも、また金剛山転法輪寺の山号にちなむともいわれる<ref name="kadokawa">[[角川書店]]『[[角川日本地名大辞典]] 29 奈良県』</ref>。
 
 
また貝原益軒の『和州巡覧記』では葛城山について「篠峰の南にあり。篠峰より猶高き大山也。是金剛山也。山上に葛城の神社あり。山上より一町西の方に金剛山の寺あり。転法輪寺と云。六坊有。山上は大和なり。寺は河内に属せり。婦人は此山による事をゆるさず……此山に登れば、大和、河内、摂津、其外諸国眼下に見ゆ」と記載されており<ref name="kadokawa" />、明らかに金剛山をさしている。
 
=== 役小角との関係 ===
金剛山は[[修験道]]の開祖[[役小角]](役行者)が修行した山として知られている。役行者は今から約1,300年前、16歳の時から、この山で修行し、全国各地の[[霊山]]へ駆け巡ったと伝えられる。山頂付近には役行者が開いたとされる[[転法輪寺 (御所市)|転法輪寺]]([[真言宗醍醐派]]、葛城修験道大本山)がある。近くには[[一言主]]を祭神とする[[葛木神社 (御所市)|葛木神社]]がある。
 
毎年7月7日の役行者の命日には一言主ノ神を祀る葛木神社と法起菩薩を本尊とする転法輪寺との珍しい[[神仏習合]]のれんげ祭りが行われている。
 
=== 楠木正成との関係 ===
金剛山周辺には[[太平記]]の英雄[[楠木正成]]の城であった[[千早城]]、[[上赤坂城]]、[[下赤坂城]]の城跡や楠公誕生地など、正成ゆかりの史跡が点在している。楠木正成の[[菩提寺]]であった[[観心寺]]には、正成が少年期に学問を修めた記録が残っている。また古来より金剛山[[鎮守]]と称された、[[建水分神社]]は[[楠木氏]]の[[氏神]]であり、[[本殿]]([[重要文化財]])は正成が再建したもので、[[境内]]にある[[摂社]]の南木神社は正成を祀る最古の[[神社]]である。
 
== 登山回数 ==
9,245

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