「ラリーサ・シェピチコ」の版間の差分

1個の出典を修正し、0個にリンク切れのタグを追加しました。 #IABot (v1.5.3)
(1個の出典を修正し、0個にリンク切れのタグを追加しました。 #IABot (v1.5.3))
'''ラリーサ・エフィモヴナ・シェピチコ'''({{lang-ru|Лари́са Ефи́мовна Шепи́тько}}, [[1938年]][[1月6日]] - [[1979年]][[6月2日]])は、[[ソビエト連邦]]の[[映画監督]]、[[脚本家]]。
 
[[全ソ国立映画大学]]で映画を学び、大学では[[オレクサンドル・ドヴジェンコ]]に付いて、ドヴジェンコが亡くなる1956年までの18か月間師事した。1977年、自身が監督をつとめた戦争ドラマ映画『処刑の丘』が、[[第27回ベルリン国際映画祭]]で[[金熊賞]]を受賞する<ref>{{Citation |title=1977 : Prize Winners |publisher=Internationale Filmfestspiele Berlin |url=http://www.berlinale.de/en/archiv/jahresarchive/1977/03_preistr_ger_1977/03_Preistraeger_1977.html |accessdate=2014-06-29 |archiveurl=httphttps://web.archive.org/web/20140502012843/http://www.berlinale.de/en/archiv/jahresarchive/1977/03_preistr_ger_1977/03_Preistraeger_1977.html |archivedate=2014-05-02年5月2日 |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。
それから間もない1979年、ヴァレンチン・ラスプーチンの小説『マチョーラとの別れ』を映画化する[[ロケーション・ハンティング|ロケハン]]のため訪れていた[[カリーニン州]]で、自動車事故により死去。同作はその後、夫であり映画監督である[[エレム・クリモフ]]が映画『別れ』として完成させた。