「フェルナンド1世 (アラゴン王)」の版間の差分

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母方の伯父にあたるアラゴン王[[マルティン1世 (アラゴン王)|マルティン1世]](シチリア王としてはマルティーノ2世)が1410年に嗣子のないまま亡くなると、[[カスペの妥協]]によって1412年にアラゴン王フェルナンド1世に選ばれた。これには、[[対立教皇]][[ベネディクトゥス13世 (対立教皇)|ベネディクトゥス13世]]とその腹心である[[ビセンテ・フェレール]]の工作、および外国人なら都合が良いと考える[[カタルーニャ君主国|カタルーニャ]]やアラゴン貴族の意向が働いていた<ref name="関180">関、P180。</ref><ref>田澤、P179 - P182、西川、P198 - P202。</ref>。
 
フェルナンド1世の業績で知られるのは、王位候補者の1人ウルジェイ伯ジャウマ2世が起こした[[1413年]]の反乱を鎮圧、カタルーニャを始め[[アラゴン連合王国]]を構成する各国の自治を尊重したこと、[[コンスタンツ公会議]]が宣言した対立教皇ベネディクトゥス13世の退位を1416年に受け入れ、40年にも及んだ[[教会大分裂]]を終わらせたことである。カスペの妥協でフェルナンド1世を支持したベネディクトゥス13世は彼の裏切りを深く恨み、[[破門]]に処したばかりか繰り返し呪詛し続けたという。
 
即位から4年後の1416年、[[イグアラーダ]](現在の[[バルセロナ県]])にて35歳で死去した<ref>田澤、P182 - P184、関、P239 - P240、西川、P202 - P203。</ref>。