「ベースボール・マガジン社」の版間の差分

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[[1951年]][[3月20日]]に'''株式会社ベースボール・マガジン社'''として法人化。あわせて、『ベースボール・マガジン』の発行元となった。[[1956年]]に本社を東京都[[千代田区]][[神田錦町]]3-3へ移転。
 
[[1965年]]には兄弟会社の恒文社から『[[平凡パンチ]]』に競合する男性向け週刊誌『F6セブン』、『[[朝日ジャーナル]]』路線の総合雑誌『潮流ジャーナル』を創刊するも1年ともたずに休刊。その他の翻訳出版などもうまくゆかず、資金繰りが悪化して10億円とも言われる負債を抱えて[[倒産]]。[[1967年]]12月に[[東京地方裁判所]]に[[会社更生法]]の適用を申請して、再建に乗り出す<ref name="suzuki">鈴木敏夫『出版 好不況下 興亡の一世紀』出版ニュース社、1970年、pp.479-483</ref>。この倒産時に一部の社員が退社し立ち上げたのが、[[日本スポーツ出版社]]である<ref>[http://www.sonypictures.jp/movies/rikidozan/museum/interview/index2.html 力道山ミュージアムに掲載された竹内宏介のインタビュー]([[ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント (日本)|ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント]]公式ホームページ内、2ページ目)において、竹内が“当時のトップの方たちが独立して、日本スポーツ出版社を立ち上げた。”と語っている。また、[http://www.mag2.com/sample/0001044982 杉山頴男のメールマガジン『編集とは時代の精神との格闘だ!』第1号「1章 なぜに月刊「プロレス」を週刊化したのか <1>自分一人が考えていることが、果たして世に通じるか?」(2009年12月1日発行<!--発行日のソース:http://www.mag2.com/archives/0001044982/2009/-->。サンプル)]{{リンク切れ|date=2017年9月}}より、“「プロレス」誌いた社員たち数人が飛び出し、創立した”と記述されている。</ref>。
 
[[1984年]]に[[後楽園球場]](現:[[東京ドームシティ]])近くの千代田区[[三崎町 (千代田区)|三崎町]]3-10-10へ移転。