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2017年9月25日 (月) 13:39時点における版
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→北京条約
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→日本への影響
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60行目:
== 日本への影響 ==
1856年の夏に、[[日米和親条約]]
』
の規定に基づき、[[アメリカ合衆国]]の領事である[[タウンゼント・ハリス]]が、[[伊豆]]の[[下田]]に着任した。ハリスは、
『
[[日米修好通商条約]]
』
の締結に当たって、アロー戦争と[[インド大反乱]]を引き合いにしつつ、イギリスが
[[
日本
]]
に出兵する可能性をほのめかして、
[[江戸
幕府
]]
に圧力をかけた。
== 画像 ==