削除された内容 追加された内容
27行目:
旧三月酉の日、合計75頭の鹿の頭部を[[諏訪神社]]の信仰圏の村々が献じる。また、この地方では好猟を期待して、鹿の頭を[[氏神]]に捧げ、願いが叶うと鹿頭の角に[[注連縄]]を張るという。
 
[[菟足神社]]の[[風祭]]では神前で猪を殺す神事があった。しかし、その猪はいつの頃か雀に変わった<ref>田代道弥「風神のつのとり 考」祭風洞書屋 昭和43年1968年8月1日27頁―30頁</ref>。これ対し[[加藤玄智]]は、佛教史学第一編第10号60頁―63頁(高木敏雄「日本神話伝説の研究」岡書院 大正14年1925年5月20日496頁にて引用)で、「柳田君([[柳田國男]])も擧げられ居るのでありますが、三河の莵足神社の風祭に昔は女子を犠牲にして居ったのでありますが、後之を猪及び鹿若しくは雀の犠牲を以って之に代えたと伝えて居る如きは明らかに[[人身供犠]]に代えるに動物を以てした一例であると思う」と記している<ref>[[高木敏雄]]「日本神話伝説の研究」[[岡書院]] 1925年5月20日発行487頁―531頁532頁―538頁</ref>。この点、高木敏雄は加藤玄智とは考えを異にしており、人身御供は動物や金銭では代替できないとしている。
 
=== 現在(現代)の事例 ===