「ガイウス・ユリウス・カエサル」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m ローマ人の物語は小説であってWP:RSに合致しない。
m編集の要約なし
137行目:
ポンペイウス死後も[[ヌミディア]]王[[ユバ1世]]と組んで北アフリカを支配していた[[クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ピウス・スキピオ・ナシカ]]など元老院派を[[タプススの戦い]]で破り、更に[[ウティカ]]を攻撃してカトを自害に追い込んだ([[紀元前46年]]4月)。
 
[[紀元前46年]]夏、ローマへ帰還したカエサルは市民の熱狂的な歓呼に迎えられ、壮麗な[[凱旋式]]を挙行した。カエサルはクレオパトラ7世をローマに招いており、クレオパトラ7世はカエサルとの間の息子とされる[[カエサリオン]]を伴っていた。[[紀元前45年]]3月、ヒスパニアへ逃れていたラビエヌスやポンペイウスの遺児[[グナエウス・ポンペイウス・ミノル|小ポンペイウス]]・[[セクストゥス・ポンペイウス|セクストゥス]]兄弟らとの[[ムンダの戦い]]に勝利して一連のローマ内戦を終結させた。
 
=== 終身独裁官就任 ===