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石高の詳細については追加項目に書いた通りであり、15.8%という細かい数字を冒頭に持ってくるのは不適切(10%~16%ぐらいの変動がある)。また領地分布で47ヶ国という数字に関しても同様。
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{{脚注の不足|date=2015年6月}}
'''天領'''(てんりょう)は、[[江戸時代]]における[[江戸幕府]]の直轄地の俗称。'''幕府領'''、'''幕領'''ともいう<ref name=mr>村上直「天領の成立と代官の位置について」法政史学48号 1996年</ref><ref name="kotobank">[https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E9%A0%98-102868 コトバンク - ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説]</ref>。幕府直轄領は元禄以降、全国で約400万石あった。その領地は日本全国に散らばっており、元禄の頃には全国68ヶ国中47ヶ国([[加賀国|加賀]][[白山|白山麓]]を加えると48ヶ国)に置かれ、田畑以外に[[港湾]]、主要な[[鉱山]]、[[交通]]・[[商業]]の要衝が編入され江戸幕府の主要な財源であった<ref name="kotobank"></ref>。
 
幕府直轄地が「天領」と呼ばれるようになったのは[[明治時代]]である。[[大政奉還]]後に幕府直轄地が[[明治政府]]に返還された際に、「天朝の御料(御領)」などの略語として「天領」と呼ばれたのがはじまり。その後、この呼称が江戸時代にもさかのぼって使われるようになった。よって、[[江戸時代]]に使われていた呼称ではない。江戸幕府での正式名は'''御料・御領'''(ごりょう)であり、その他、江戸時代の幕府法令には'''[[御料所]]'''(ごりょうしょ、ごりょうじょ)、'''代官所'''、'''支配所'''(しはいしょ、しはいじょ)とある<ref name="mr" />。江戸時代の地方書では大名領や旗本領を私領としたのに対して'''公領・公料'''、また'''公儀御料所'''(こうぎごりょうしょ)とある<ref name="mr" />。