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第四インター統一書記局派は内ゲバを否定していた党派であった。[[1984年]](昭和59年)[[1月]]に、[[三里塚芝山連合空港反対同盟]]の分裂をめぐって、中核派が[[日本革命的共産主義者同盟 (JRCL)|第四インター統一書記局派]]関係者を襲撃して大怪我を負わせた。死者はいなかったものの、[[アイスピック]]で[[大腿]]部を刺して、[[ガス壊疽]]を発症させ、左脚切断を余儀なくさせられた者や、[[頭蓋骨]]骨折の重傷者を出している。
 
これに対して、第四インターは抗議声明を出すものの、元から「内ゲバ主義反対」を主張していたことから、中核派を暴力で反撃することはしなかった。これは中核派による一方的な内ゲバ殲滅と位置づけられている。ただし第四インターも、拠点校では暴力により、対立党派を威圧することもあったため、常に内ゲバ反対という立場を貫徹していたわけではない。

後に中核派関西地方委員会が、2007年に中核派から分裂した[[革命的産主義者再建協議会]]が、中核派による襲撃を謝罪した。
 
== 内ゲバの年表 ==