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また、京都の中心部と伏見を結ぶ[[運河]]として江戸時代初期には[[東高瀬川]]が、明治には[[鴨川運河]]([[琵琶湖疏水]])が開削され水運に用いられていた。そして鉄道は旧[[東海道本線]]が[[稲荷駅]]から大岩街道の峠を越え、日本初の[[路面電車]]である[[京都市電伏見線]]が竹田街道に、また竹田街道から稲荷大社までの支線[[京都市電稲荷線]]もあったがどれも廃止され、現在は[[京阪本線]]、[[JR奈良線]]、[[近鉄京都線]]が域内を通っている。
 
[[ファイル:Kyoto Seibogakuin.jpg|thumb|240px|left|upright|旧第16師団司令部庁舎聖母女学院本館]]
[[町村制]]の施行により深草村が発足。深草町を経て[[1931年]](昭和6年)4月1日に、[[伏見市]]とともに京都市へ編入され伏見区の一部となった。昔から分区構想がたびたび出ていることもあり、地域内の住民登録や行政事務は深草向畑町にある伏見区役所深草支所にて独自に行われている。[[第16師団 (日本軍)|第16師団]]司令部が置かれていたが、戦後は庁舎が[[学校法人聖母女学院]]の本館となり、鴨川運河に架かる橋に施された意匠や、[[師団街道]]、軍人湯などの名称、京都[[衛戍病院]]([[国立病院機構京都医療センター]](旧京都[[衛戍病院]])の存在などにも名残が見られる。周辺の陸軍用地跡には[[京都教育大学]]や[[龍谷大学]]などが出来たため学生も多く住む。
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== 交通機関 ==
=== 鉄道 ===