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Soukoushu (会話 | 投稿記録)
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== シャリーアにおける人権侵害 ==
{{観点|section=1|date=2009年10月}}
[[人権]]思想の観点からは、シャリーアの人権軽視的性格として以下に挙げるようなことが指摘されている。
注意しなければいけないのは、ムスリムの中にもシャリーアを批判する、もしくはその精神を評価しつつも下記の人権侵害を糾弾する者も多く存在しており、下記規定を無視するムスリムが地域によっては多数派を占めることがあることである。
 
=== 棄教の禁止 ===
前近代においてはほとんどの学派が、イスラーム法においてイスラームからの離脱は死刑に処されるべきとしてきた。[[ハナフィー学派]]のみは女性の改宗者の場合終身禁固とするべきとしている。近代においても、[[イスラム教における棄教|棄教]]への処罰を廃止しようとする改革派の解釈は浸透せず、保守派の解釈が今なお主流である。
 
棄教者への死刑は、預言者の言行録(ハディース)にある、ムハンマドが棄教者の殺害を命じたという記述に由来する<ref>[[ブハーリー]]の[[ハディース]]集成書『真正集』「聖戦」第149節2項、「背教者と反抗者に悔い改めを求めること、および彼らと戦うこと」第2節1項など</ref>。同時にクルアーンでは「宗教に強制はあってはならない」としている<ref>クルアーン第2章256節</ref>ため、棄教者ではなく、イスラームに改宗しない者へは本来寛容である。
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{{see also|ムスリムと非ムスリムとの婚姻}}
 
イスラーム法上、ムスリム男性は[[啓典の民]]に属する[[ユダヤ教|ユダヤ教徒]][[キリスト教徒]]女性と自由に結婚でき、また啓典の民に準ずる存在としてそれ以外の信仰を持つ女性とも結婚できるのが通例である。ただしこれはムスリム男性にそのような結婚が許されているというだけのことであり、現実には結婚に当たって改宗を求める男性も少なくない。
 
女性は非ムスリムとの婚姻は決して許されず、発覚した場合双方[[姦通]]として死刑である。ただし、これらの法規定も、現代にはそぐわないものとみなす改革派の解釈も存在している。
 
=== イスラム教国内での非ムスリムの自由・財産・生命の権利の制限 ===
イスラーム法において、イスラームの統治する地域([[ダール・アル=イスラーム]])に居住する異教徒には[[ズィンミー]]として一定の権利保障が与えられる。彼らは自身の宗教を保持することが許され、生命権や[[財産権]]も保障される。
 
しかしここで保障される「[[信教の自由|信仰の自由]]」は、近現代におけるそれに比べると制限の厳しいものである。ズィンミーは信仰の内面的保持(内心の自由)は完全に保障されているが、信仰の表明(宗教的な表現・[[結社の自由]])に関しては厳しい制限があり、ムスリムの前で二等市民として控えめに振舞うことが要求されている。具体的には、
*教会の新築が原則禁止され、修理や増築にも制限がつくこと
*宗教儀礼のうちいくつかはムスリムの感情を害するとして禁止されたこと、
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そのほかにも、ズィンミーはジズヤと呼ばれる特別の税金を支払わなければならず、時代・地域によっては衣服などに特別のしるしをつけさせられたり、馬への騎乗が禁止される場合もあった。またズィンミーの生命権も、ムスリムのそれより軽く見られることが多く、ハナフィー学派を除き、ズィンミーを殺したムスリムに死刑は科されない。
 
現在多くの国でズィンミー制は公式には廃止されているが、イスラム国家を名乗るいくつかの国家では今なお非ムスリムへの差別政策が採られることもある。
 
=== 女性の地位 ===
前近代のイスラーム法において、女性は[[相続]]などで固有の権利を認められていたものの、男性に比べた場合その地位は一段低いものとなっていた。現代では、女性も男性同様の権利を有するべきとする改革派の解釈もかなりの程度広まっているが、国によってはなお保守的な解釈がなされる場合もあり、[[タリバーン]]政権などは女性を男性の所有物とみなし、その権利を著しく制限した。
 
女性の[[ベール (服飾)|ヴェール]]着用に関しては、イスラーム法上これを義務であるとする解釈が主流であったが、現代では必ずしも義務ではないとする解釈も一部で存在している。
 
=== 姦通 ===
イスラーム法において、婚外性交は犯罪とみなされており、[[石打ち]]による死刑に処されるのが通例である。これは非イスラーム圏を中心として国際社会から厳しく批判されており、ムスリムの中にもこのような刑罰を時代に即さないと考えるものも少なくないが、[[イスラム国家]]を掲げるイランやサウジアラビアなどでは現在でもこの法規定を遵守し、姦通を行ったものへの処刑を行っている。
 
=== 同性愛 ===
前近代イスラーム社会には広く[[同性愛]]への寛容が見られたが、近代に入るとイスラーム法の同性愛禁止規定を厳格に施行すべきとする解釈が広まった。現在、多くの[[イスラム法学]]者が同性愛を「逸脱」「汚らわしい行為」と見なしている。ただし、このような刑罰や同性愛者への迫害を時代錯誤とみなすムスリムも少なくない。
 
=== 過酷な刑罰 ===
シャリーアにおいては、盗みを犯した人物の腕や足を切断するなどの[[ハッド刑]]、婚外性交・同性愛・離教などに対する石打ちや斬首による[[公開処刑]]など、現代社会においては過酷とされる刑罰が存在している。そのためイランやサウジアラビアなど、シャリーアを国法として採用しているいくつかの国における刑罰は、国際社会から人権侵害として強い非難を受けている。
 
=== 奴隷制度 ===
シャリーアには奴隷に関する規定があり、奴隷制度自体を肯定している。
預言者ムハンマド自身が奴隷を所有していたこともあり、奴隷所有者を悪人と断ずればムハンマドが悪人だったことになってしまうため、現代でも奴隷制度を悪と明言されていない。このため、イスラム教国では奴隷制度の廃止はかなり遅く、最後に廃止された[[モーリタニア]]では1980年まで奴隷制度が存続していた。
ただし、奴隷解放を善行として奨励していることや、主人の死亡時点を持って奴隷身分から解放されるなど、欧米のような終身、子孫まで継続することはなく、奴隷の獲得数が減少するに伴い奴隷の人数も減少をたどり、耕作地と水資源の少ない[[アラビア半島]]では農奴制が発達しなかったことから、アラビア半島では16世紀には奴隷人口は極めて少なくなり、奴隷を所有できるのはごく一部の権力者のみとなり、実質的な意味合いとしての奴隷というのは部族外から[[雇用]]された雇い外国人のようなものとなり、欧米のような悲惨な扱いをされる者ではなく、高給優遇される者が大半をしめるようになった。奴隷が軍人や官僚を占めるようになると奴隷が国を支配してしまう[[奴隷王朝]]が誕生するなど、奴隷が逆に高い身分になってしまうという逆転現象も起きている。
奴隷が部族地域における実質的な高級官僚となってしまったサウジアラビアでは1962年に奴隷制度の禁止を発令した時に部族解体政策が平行して行われていたこともあり、諸部族から強固に反対され、奴隷制度は憲法である[[クルアーン]]で認められた物であると反論され妥協した結果、新規奴隷のみ禁止で既存の奴隷で希望者のみ奴隷の身分を継続してよいことになった。このため、現在では奴隷といえば権力者の腹心という意味合いになり奴隷が高貴な身分となっている。アラビア半島社会で現代の実質的な奴隷は法制度上は自由民である外国人出稼ぎ労働者となっている。
 
また、ムハンマドが所有していた[[黒人]][[奴隷]]の[[ビラール・ビン=ラバーフ]]は[[イスラム教]]初期における聖人の一人であり、その直系子孫であるハバシー家の称号は「預言者ムハンマドの教友たる黒人奴隷」であり、黒人奴隷が高貴な家柄となっている。このような事情からアラブ社会では奴隷という言葉には欧米や極東ほどネガティブなイメージはない。
 
イスラム社会で欧米的な農奴制が始まったのはエジプトがイスラムに征服されて[[ナイル川]]流域の肥沃な土地が手に入って征服されたエジプト人が農奴となってからで、このシステムは西へと伝わって行き[[モーリタニア]]が最西端となっている。気候的な事情からエジプトの農奴制が[[シナイ半島]]より東に逆流することはなかった。
アラビア半島では早い時期に奴隷売買そのものが縮小していったが、エジプトから東のアフリカ大陸北部地域を征服したイスラムはアフリカ大陸北部の住民を奴隷としてヨーロッパ人に売りさばき、その多くが[[アメリカ大陸]]へ輸出されていった。このため、イスラム教国でもシナイ半島を境に奴隷制度そのものが大きく異なる。
 
=== 宗教警察 ===
イスラム教国には[[ムタワ]]と呼ばれる宗教警察があり、彼等は[[治安]]維持を行う[[警察]]とは別にイスラムにおける道徳を守ることを目的として活動している。
厳格派ではイスラムにおける[[勧善懲悪 (イスラーム)|勧善懲悪]]の実施を掲げており、これが[[人権蹂躙|人権侵害]]となる事例が多くあり、時にはタリバンのような破壊活動にまで発展する。
*詳細については[[ムタワ]]、[[勧善懲悪委員会]]、[[勧善懲悪省]]などの項目を参照