「福井英一」の版間の差分
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「東京児童漫画会」(児漫長屋)会員であり、[[高野よしてる]]や[[山根一二三]]は年上の福井を「兄貴」と呼ぶ親しい間柄で、「児漫長屋の3人組」と言われた。月刊誌は月末の1週間が「漫閑期」と言われ、この時期に3人で「充電」と称し、盛大に遊び歩いたという。
[[漫画評論]]家の[[夏目房之介]]は、福井の[[勧善懲悪]]タイプの[[スポーツ漫画]]が手塚治虫作品とは違う独自の世界を築いていた点を指摘しており、福井の作劇手法の影響下にある後年の漫画家の多さを示唆している([[水島新司]]など<ref>「最初は柔道漫画で始まった ドカベン①」、『消えた魔球』</ref>)。さらに福井の作品世界と、後の[[梶原一騎]]作品の共通点にも言及<ref>「忘れられた非手塚漫画の故郷 イガグリくん①」「誰もがわかる『正義』と『悪』 イガグリくん②」「福井英一から梶原一騎へ イガグリくん③」、
福井が過労死する少し前に顔を合わせた[[うしおそうじ]]は、その土気色の顔色に驚いたという。福井の死から10日ほどたって、[[馬場のぼる]]宅で「東京児童漫画会」の集会が開かれ、太田じろう、山根一二三、高野よしてる、木村一郎、古沢日出夫、手塚治虫、馬場のぼる、うしおそうじらが集まり、黙祷をささげた。この席で太田と木村は、福井の死は過剰労働によるもので、そもそも漫画の原稿料の安さによる過剰な執筆作業に問題があるとして、各出版社に対して原稿料の値上げ要求を提案した。当時の「別冊付録は」本誌連載原稿のページ数を超えることもあったほどで、その福井の死を招いた「別冊付録」の原稿料を一律12万円とするように出版各社と交渉を行った結果これを承諾させた。結果的に福井の死は、漫画家たちの過酷な労働条件の改善に生かされた<ref>『手塚治虫とボク』(うしおそうじ、草思社)</ref>。
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