「イスラームにおけるイーサー」の版間の差分

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=== 昇天 ===
[[ファイル:Turkish-islam isa.jpg|thumb|right|220px|イーサーの昇天。[[トルコ]]の古い絵から<ref>{{cite web |url= http://members.surfeu.at/veitschegger/texte/andere_rel.htm |title= Jesus in den anderen Religionen |accessdate= 2008-03-17 |last= Veitschegger |first= Karl |format= |work= }}</ref>。]]
イスラームの記述では、[[ローマ人]][[ユダヤ人]]の手によるイーサーの[[磔]]と死を、明確に否定している<ref name="EoI-Isa"/>。クルアーンでは、ユダヤ人はイーサーを殺そうとしたが、殺しはせず磔にもしなかった、しかし同様のものが彼らに示されたという。代わりに、イーサーは生き延びて神のもとに昇ったという<ref name="EoQ-cross">Neal Robinson, Crucifixion, Encyclopedia of the Qur'an</ref>。
 
{{Cquote|{{Quran-usc-range|4|157|e=158|q=「わたしたちはアッラーの使徒,マルヤムの子マスィーフ(メシア),イーサーを殺したぞ」という言葉のために(心を封じられた)。だがかれらがかれ(イーサー)を殺したのでもなく,またかれを[[十字架]]にかけたのでもない。只かれらにそう見えたまでである。本当にこのことに就いて議論する者は,それに疑間を抱いている。かれらはそれに就いて(確かな)知識はなく,只臆測するだけである。だが実際にはかれを殺したのでもなく,いや,アッラーはかれを,御側に召されたのである。アッラーは偉力ならびなく英明であられる。}}}}
 
ムスリムの伝承によれば、イーサーは替え玉とすり替わったのだという。その替え玉は[[キレネのシモン]]だったのではないか、また[[イスカリオテのユダ]]のような弟子のひとりであったのではないかとする説がある。[[イスマーイール派]]の解説書の一部や合理主義者 (falāsifa) は<!--leaning-->、イーサーの体は磔にあったが、イーサーの精神は引き上げられたと主張する。しかし通常、この解釈は否定される。[[イスラーム百科事典]]によれば、磔を主張する説は満場一致で否決されたという<ref>[[イスラーム百科事典]]はさらに詳細に述べている。「そのうえ承認拒否は、クルアーンの論理と完璧に合致する。[[ヨブ記|ヨブ]]、[[モーセ]]、[[ヨセフ (ヤコブの子)|ヨセフ]]等の聖書物語、そして初期イスラームの歴史に関する挿話は、信仰が最終的には邪心と不運に打ち勝つ『神の試練 (sunnat Allah)』だと示している。「実際のところ、苦難は安楽とともに来る」(XCIV, 5, 6)。イーサーが十字架の上で死ぬことは、彼の死刑執行人が勝利したことを意味する。しかしクルアーンは、彼らが失敗したことは疑うべくもないと主張する。「神はまちがいなく信者を援護する」(XXII, 49)。「彼はキリストの敵を混乱させる」(III, 54)。(参照:`Isa, [[イスラーム百科事典]])</ref>。M.ハイエクのような現代の注釈者は、韻文を解釈し、磔が「彼ら(つまりユダヤ人)にはこのように思えた」のだと述べている<ref name="EoI-Isa"/>。