「酒梅組」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
23行目:
==来歴==
{{節スタブ}}
1873年(明治6年)生まれの初代・鳶梅吉は10代後半頃から[[賭場]]に出入りし、[[会津の小鉄]]の若頭であった長谷川伊三郎に師事したのち、三名の実弟を率いて[[大阪]][[難波]]を中心に勢力を拡大。1933年(昭和8年)における鳶の病没に伴い田中勇吉が二代目を襲名するも、それからわずか2年後の1935年に田中が死去。諸派鼎立するなか戦後に松山庄次郎が三代目を継承した。松山は[[山口組]]の[[田岡一雄|田岡組長]]と五分の兄弟の関係(対等な兄弟分の関係)を結び、[[全日本プロレス協会]]の会長も務め、1961年に63歳で没するまで田岡と親交関係にあった。松山亡き後の四代目を中納幸男が継承、さらに1979年に谷口正雄が五代目を襲名している<ref>『[[実話時代]] 2012年6月号』 : “五代目酒梅襲名披露御芳名録” {{small|(p.34-37)}} 2012年6月1日 [[メディアボーイ]]</ref>。
 
1993年(平成5年)の5月26日、[[大阪府公安委員会]]は酒梅組を[[指定暴力団]]に指定した。