「種子島時次」の版間の差分

タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
ところが、そのわずか2年後の永禄5年(1562年)、夭折。法号は要法院殿日要大居士。時次の死後、当時他に男子のいなかった時尭は再び種子島氏の当主となり、険悪化していた島津氏との仲も次女が[[島津義久]]の後妻となったことで改善に向かった。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
[[Category:種子島氏|ときつく]]