「チャールズ・ペダーセン」の版間の差分

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== 来歴 ==
ノルウェー人の[[海技従事者|航海技師]]だった父が一時、[[釜山広域市|釜山]][[税関]]に勤務していたため、[[大日本帝国]]の[[保護国]]だった[[大韓帝国]]の[[慶尚南道]][[東莱郡]](現在は[[大韓民国]][[釜山広域市]]に含まれる)で[[1904年]]([[光武 (元号)|光武]]8年、[[明治]]37年)に生まれる。8歳まで[[朝鮮半島]](1910年からは[[日本統治時代の朝鮮|日本統治]]となる)で過ごした後に[[長崎]]へ移り、10歳で[[神奈川県]][[横浜市]]に転居し[[インターナショナルスクール]]の[[セント・ジョセフ・インターナショナル・カレッジ]]で学んだ。[[化学]]を学ぶため、[[1922年]]に[[アメリカ合衆国]]へ渡り、{{仮リンク|デイトン大学|en|University of Dayton}}([[オハイオ州]][[デイトン (オハイオ州)|デイトン]])で[[学位]]を得た後、[[マサチューセッツ工科大学]](MIT)([[マサチューセッツ州]][[ケンブリッジ (マサチューセッツ州)|ケンブリッジ]])で[[修士]]課程を修了した。
 
MITの教授らは大学に残り[[博士]]課程を修めるよう薦めたが、父から学資を受け続ける生活を嫌ったペダーセンは実務の世界に移った。この決断から数十年後にペダーセンはノーベル化学賞を受賞することとなるが、こうした経緯から、ノーベル化学賞受賞者の中では珍しい博士号を持たない人物ということになった。