「景山民夫」の版間の差分

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=== 死去 ===
[[1998年]](平成10年)[[1月26日]]深夜に、成城の自宅書斎で喫煙しながら趣味である[[プラモデル]]制作をしていたところ、接着剤から気化したシンナーに引火し、27日午前1時半頃に死去。{{没年齢|1947|03|20|1998|01|27}}。死因に関しては当初は火傷、もしくは一酸化炭素中毒と報じられたが公式には特定されておらず、検死も行われたが公表されていない<ref>これに加えて喫煙をしながらプラモデルを制作するという不自然な状況(プラモデルの塗料や接着剤はそのほとんどに「火気厳禁」の注意書が大きく書かれている)、幸福の科学に入信した晩年の状況もあり、現在までその死因には様々な憶測が飛び交う一因となっている。</ref>。旧友[[高平哲郎]]は、病院で医師に「火傷の方はそんなに重度ではないんですが、一酸化炭素を吸っていますんで難しいところですが、まだ蘇生の手当は続けています」と告げられた。また、息を引き取った後「民夫は顔だけを出して、身体は白いシーツに包まれていた。」「髪はシャワーを浴びてきたような濡れ方をしていたが、多少すすをつけた顔に火傷はなかった。」と述べている<ref>[httphttps://web.archive.org/web/20030430034012/http://www.shobunsha.co.jp/html/takahira-2/05.html あなたの想い出]</ref>。
 
出棺の際、妻は大好きだった『[[トラブル・バスター]]』の田所局長の言葉を引用します、と前置きの後「バカヤロー! 寂しいじゃねーか!」と早すぎる死を悼んだ。葬儀は幸福の科学が執り仕切った(葬儀委員長は[[小室直樹]])。