「アルフレッド・V・キダー」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
→‎考古学的業績: 英文を参照して修正
m リンク追加
5行目:
1907年の[[ユタ大学]]の考古学夏季調査補助研修([[サマージョブ]])へ行ってキダーは[[コロラド州|コロラド]]南西部のメサ峡谷で2回の有意義な夏を過ごした。キダーと後に[[メサ・ヴェルデ]]国立公園園長となる前途有望な考古学者であったJesse L. Nusbaum(ジェッセ・L・ヌスバウム)は、メサ・ヴェルデへ民族学者J.ウォルター・フュークスとともに訪れた。キダーは[[一般調査]]と遺跡の撮影を指揮した。1908年にハーバードで学士号を取得し、1914年には博士号を取得した。
==考古学的業績==
キダーは南西部地方、主として[[アリゾナ州]]北東部の多くの遺跡について連続した現地調査に取りかかった。キダーのこれらの調査は、[[ハーバード大学]]の[[ピーボディ考古学・民族学博物館]]および[[マサチューセッツ州]][[アンドーバー (マサチューセッツ州)|アンドーバー]]の[[フィリップス・アカデミー]]にある[[ピーボディ博物館]]の財政支援によって実施された。
キダーは、1915年から1929年にかけて[[ニューメキシコ州]][[サンタフェ (ニューメキシコ州)|サンタフェ]]近くの[[ペーコス]]にあるおびただしい数の[[プエブロ文化|プエブロ]]遺跡の調査を指揮した。そして2000年以上にさかのぼるプエブロ遺跡の文化層を調査した。膨大な量の[[土器]]片や人骨を含む[[遺物]]についての詳細な記録を収集した。これらの遺物によって1800年代半ばにまで及ぶ2000年間の土器スタイルの連続した記録、すなわち[[編年]]のもとになる記録をつくることができた。
キダーはペーコスの人々の文化と結びついて土器スタイルの傾向と変化を分析し、南西部地方の基礎となる編年を確立した。サミュエル J.ガーンジー(Guernsey)とともに極めて妥当性の高い文化区分による編年体系を確立したのである。キダーは、人類の文化の発展というものは、考古遺跡の層位と編年の組織的な検証によって推定していくことができると主張した。キダーによって行われた南西部調査は、近代考古学の野外調査の基盤をなし、完形品と断崖の遺跡をさがして美術品や貴重品を集めるような金持ちの好事家の冒険から人類の文化を研究するために土器片やその他の遺物を集める研究へと移行することとなった。