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* 長アヤゴ - [[叙情]]的、[[民謡]]的なものが多い。「トウガニ」「正月のアヤグ」「石嶺のあこうぎ」「旅栄」「多良間シユンガニ」など。
 
== 放送 ==
:''中継局については「[[宮古島中継局]]」、「[[多良間中継局]]」を参照。''
 
=== ラジオ ===
*現在 [[NHK沖縄放送局|NHK]]が、AM・FMとも、宮古島(平良局)から、宮古島市だけでなく多良間村まで、宮古諸島全域をカバーしている。
** AMの[[NHKラジオ第1放送|ラジオ第1]]・[[NHKラジオ第2放送|ラジオ第2]]は、[[1972年]][[6月25日]]に沖縄県内におけるNHKの放送再開とともに、[[沖縄本島]]と同時に中継局設置(出力は100W)。テレビ放送と違い、設置当初から本島や日本本土と同時放送だった。
** [[NHK-FM放送|FM放送]]は、[[1976年]][[12月]]のテレビの同時放送開始とともに放送開始された。また[[石垣島]]へ電波を送信する役割もあるため、出力を親局並みの1kWとしている。
* 民放はAMの[[琉球放送|琉球放送]](RBCiラジオ)]]と[[ラジオ沖縄|ラジオ沖縄(ROK)]](ROK)が、宮古島市内の伊良部島と多良間島に中継局を置いている。[[エフエム沖縄|FM沖縄]]は中継局がないため受信出来ないが、[[2006年]]秋から同局の人気番組(平日11:30~15:50、土・日19:00~21:00)を中心に、コミュニティFMである[[エフエムみやこ|FMみやこ]]で放送するようになった。
 
** [[1964年]]、RBCiラジオが、本島以外では初となる中継局を宮古島に設置、長らく宮古だけでなく[[八重山諸島|八重山]]を含めた[[先島諸島]]全域をカバーしていた。しばらくコールサインはなかったものの、宮古局独自のローカル放送も行っていたという。日本復帰後は宮古放送局としてコールサイン“JORO”が付いた<ref>JOROが付けられたのは、RBC英語ラジオ局が廃止された1973年11月から。</ref>。ほぼ本島と同時放送で、番組開始・終了時にもステーションコール紹介はあるものの、コールサインのアナウンスは那覇本局のもの(JORR)だった。毎年4月に開催される[[トライアスロン|全日本トライアスロン宮古島大会]]は、レースの模様を一部宮古局のみで放送していた。
*民放はAMの[[琉球放送|琉球放送(RBCiラジオ)]]と[[ラジオ沖縄|ラジオ沖縄(ROK)]]が、宮古島市内の伊良部島と多良間島に中継局を置いている。[[エフエム沖縄|FM沖縄]]は中継局がないため受信出来ないが、[[2006年]]秋から同局の人気番組(平日11:30~15:50、土・日19:00~21:00)を中心に、コミュニティFMである[[エフエムみやこ|FMみやこ]]で放送するようになった。
** [[2005年]][[4月1日]]、RBCiラジオとROKは、[[中華人民共和国|中国大陸]]や[[台湾]]([[中華民国]])などの近隣諸国の混信を避けるため、伊良部島(宮古島市)と多良間島の2ヶ所に、FMによる中継局を設置した(出力は伊良部島が100W、多良間島が3W)。これによりRBCiラジオは、長らくAMの1150→1152KHZで放送していた旧宮古局(JORO)を、[[2005年]][[5月1日]]深夜([[2005年]][[5月2日]]未明)の放送終了をもって廃止、伊良部島のFM中継局に引き継いだ<ref>FM中継局が開局した4月の1ヶ月間は移行期間として、AMとFMの[[サイマル放送]]が行われていた</ref><ref>なおこのケースは、[[2001年]]に沖縄本島北部地区、[[2004年]]に八重山地区に設置されたケースと同じである。</ref>。
**[[1964年]]、RBCiラジオが、本島以外では初となる中継局を宮古島に設置、長らく宮古だけでなく[[八重山諸島|八重山]]を含めた[[先島諸島]]全域をカバーしていた。しばらくコールサインはなかったものの、宮古局独自のローカル放送も行っていたという。日本復帰後は宮古放送局としてコールサイン“JORO”が付いた<ref>JOROが付けられたのは、RBC英語ラジオ局が廃止された1973年11月から。</ref>。ほぼ本島と同時放送で、番組開始・終了時にもステーションコール紹介はあるものの、コールサインのアナウンスは那覇本局のもの(JORR)だった。毎年4月に開催される[[トライアスロン|全日本トライアスロン宮古島大会]]は、レースの模様を一部宮古局のみで放送していた。
* [[2002年]]には沖縄県内の離島では初の[[コミュニティ放送|コミュニティFM局]]となる、[[エフエムみやこ|FMみやこ]](76.5MHz・20W)が開局した(2006年より、FM沖縄の一部の番組も放送)。
**[[2005年]][[4月1日]]、RBCiラジオとROKは、[[中華人民共和国|中国大陸]]や[[台湾]]([[中華民国]])などの近隣諸国の混信を避けるため、伊良部島(宮古島市)と多良間島の2ヶ所に、FMによる中継局を設置した(出力は伊良部島が100W、多良間島が3W)。これによりRBCiラジオは、長らくAMの1150→1152KHZで放送していた旧宮古局(JORO)を、[[2005年]][[5月1日]]深夜([[2005年]][[5月2日]]未明)の放送終了をもって廃止、伊良部島のFM中継局に引き継いだ<ref>FM中継局が開局した4月の1ヶ月間は移行期間として、AMとFMの[[サイマル放送]]が行われていた</ref><ref>なおこのケースは、[[2001年]]に沖縄本島北部地区、[[2004年]]に八重山地区に設置されたケースと同じである。</ref>。
 
*[[2002年]]には沖縄県内の離島では初の[[コミュニティ放送|コミュニティFM局]]となる、[[エフエムみやこ|FMみやこ]](76.5MHz・20W)が開局した(2006年より、FM沖縄の一部の番組も放送)。
 
;ラジオ中継局一覧
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※宮古島市の送信場所 NHK・宮古島市平良(AMとFMは場所が異なる)、民放・宮古島市伊良部
 
=== テレビジョン ===
* [[2006年]]に沖縄県内でも開始された[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビ放送]]についてはNHKが[[2008年]][[5月1日]]に宮古島(平良)中継局が開局。民放についても2009年[[10月21日]]に開局した。[[琉球朝日放送]](QAB)は、アナログでは中継局未設置のQABもであったが、同日にデジタル新局として設置)中継局を開局している
*現在NHK、民放の琉球放送(RBC)と[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]](OTV)が宮古島と多良間島にアナログ放送の中継局がある。
* [[ケーブルテレビ]]の[[宮古テレビ]]が多良間島を含めた宮古全土をカバーしている(大神島を除く)。QABの中継局開局以前は、宮古テレビが、QABの系列キー局である[[テレビ朝日]]の番組を[[番販]]扱いで時差配信していた
**宮古島(平良)局はNHKがVHF、民放(RBC・OTV)がUHFで放送されている(出力はいずれも1kW)。
**多良間局はすべてUHFでの放送だが、民放は石垣島に電波を送信する役割もあるため、出力をNHKより高くしている(民放30W、NHK1W)。
*[[ケーブルテレビ]]の[[宮古テレビ]]が多良間島を含めた宮古全土をカバーしている(大神島を除く)。
*[[琉球朝日放送]](QAB)はアナログでは中継局は未設置だが[[2009年]][[10月21日]]、デジタル新局として中継局が開局した。宮古テレビではQABの系列キー局である[[テレビ朝日]]の番組を[[番販]]扱いで時差配信していた。
また、[[宮古毎日新聞]]など地元紙は宮古テレビの番組表を掲載している。なおアナログ放送については、宮古テレビ加入者は「デジアナ変換」を利用することで視聴することは可能である。
*[[2006年]]に沖縄県内でも開始された[[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビ放送]]についてはNHKが[[2008年]][[5月1日]]に宮古島(平良)中継局が開局。民放についても2009年[[10月21日]]に開局した(アナログ中継局未設置のQABもデジタル新局として設置)。
 
; 宮古諸島におけるテレビ放送の歴史
* [[1967年]][[12月22日]]  - NHK沖縄放送局の前身である[[沖縄放送協会]](OHK)による放送が開始された<ref>{{PDFlink|[http://www.pref.okinawa.jp/site/somu/miyako/shinko/documents/2810_1.pdf 宮古概観 平成28年度版 第9章その他資料]}} 沖縄県総務部宮古事務所2017年3月</ref>。{{要出典範囲|当時は沖縄本島との間に海底ケーブルが未敷設だったため、番組編成も本島とは別編成で、放送用テープを本島からの空輸でしのいでいた。特にニュース番組は本島や日本本土で朝に放送していたものを昼に、昼に放送したものを夜に放送したり、音声を当時未放送だったラジオのニュース音声を同時に流しながら映像は白黒のバックに字幕をつけて放送(宮古島等に関連するものだけ静止画写真も表示)していたという。また[[連続テレビ小説|朝の連続テレビ小説]]や[[大河ドラマ]]が1日~1週間遅れのものを、[[高校野球]]や[[大相撲中継|大相撲]]は前日のものを放送したり、大晦日恒例の[[NHK紅白歌合戦|紅白歌合戦]]には翌日の[[元日]]の夜に放送したりしていた(これは復帰後NHKになった後の1976年まで続いた)。|date=2017年10月}}
* {{要出典範囲|1972年5月 - 本土復帰と同時にNHK沖縄の[[NHK総合テレビジョン|総合テレビ]](正式には沖縄宮古総合テレビジョン)となったものの、復帰前のOHKでは別内容だった八重山地域(石垣局)を統合し同一内容にしたものの、引き続き本島とは別の番組編成でコールサインも別に“JOVQ-TV”が与えられ八重山含めた先島諸島をカバーした。もちろんOHK時代から1チャンネルによる放送だったため、総合・教育の混合編成による放送だった。|date=2017年10月}}
* [[1976年]]12月22日  - 本島との間に海底ケーブルが開通し、ようやくテレビ放送が本島・日本本土と終日同時放送となり、親局だった宮古島の総合テレビは中継局に降格され、新たに[[NHK教育テレビジョン|教育テレビ]]が開始された。
* [[1978年]]には - ケーブルテレビである宮古島有線テレビ(現在の宮古テレビ)が開局。日本テレビ当時未開局だった民放テレビ朝日、テレビ東京の番組を時差配信してい<ref name="history">[http://www.miyako-net.ne.jp/history.html 沿革] 宮古テレビ株式会社</ref>
* [[1993年]][[12月16日]]  - 県内民放テレビの琉球放送、沖縄テレビ放送がようやく放送開始<ref name="history" />(それまでは宮古テレビで系列キー局の[[TBSテレビ|TBS]]と[[フジテレビジョン|フジテレビ]]の番組とRBC・OTV両局の一部番組も時差配信していた)。
* [[2009年]][[10月21日]] 県内最後発の - 琉球放送、沖縄テレビ放送、琉球朝日放送がようやく地上波デジタル放送開始<ref name="history" />(それまでは宮古テレビで系列キー局のテレビ朝日の番組を時差配信していた)。
 
;アナログテレビ中継局一覧
{| class="wikitable"
!所在地!!総合!!教育!!RBC!!OTV!!QAB
|-
|宮古島市||7||4||32||34||
|-
|多良間村||60||62||58||56||
|}
※宮古島市の送信場所は宮古島市平良だが、NHKと民放では場所が異なる。
;地上波デジタルテレビ中継局一覧
{| class="wikitable"